Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

HETSA 2014(3日目)

学会会場のOld Government House


今日も9時から18時までの学会本体、19時から21時までのconference dinner、ともにフル参加する。

日本人参加者からは若手3人が登壇したが、O君の報告(コンドラチェフ)がダントツの高評価を獲得した。リサーチ、プレゼン、パワポ、質疑応答、すべての点で素晴らしかった。聴衆の多くが強い関心を抱き、身を乗り出して聞いていた。質疑応答も活発。同じ日本からの参加者として誇らしい気分になった。本当によく力をつけた! O君はHETSAに古くから参加しているNさんのお弟子さんということもあって、古参のHETSAメンバーにはとりわけ印象が強かった模様。Tony Endresさんからは「まるで孫を見るような気分だ」(O君訳)とのコメントが。

昼食時にJevons研究者のMichael Whiteさんと歓談できた。KG大のI先生とお親しいということで、話が弾んだ。昨日報告をすませた若手のH君はブラジルから参加しているTorrens研究者の知遇を得て、共同研究の話まで進めた模様だ。conference dinnerでは、去年のパースでお世話になった2名の女性と一緒に同じテーブルを囲むことになり、ここでも話が弾んだ。Michael Schneiderさんから拙論に対する感想(高評価)も頂戴できた。オークランドに到着して3日目が終わろうとしている今ごろになって、英語がだいぶ聞き取れるようになってきたのは皮肉なことだが、毎度のことなのだな、これが。

ともあれ、無事に終了。これまで参加した中で最も内容的に充実した国際学会だった。Tonyさんが、conference dinnerでのスピーチの際に、日本からの参加者のとりまとめ役を務めた僕の名前を直接出して感謝の意を表明してくださったことは、この上なく光栄なことであった。

2008年(シドニー)、2009年(パース)、2013年(パース)、そして今年2014年(オークランド)とこの学会に参加して研究報告を行った。4回参加して&6年かかってようやく、HETSAのメンバーに僕という日本人研究者の存在を認知してもらえたように思う。conference dinnerでTonyさんから「Nobuhikoはもうすっかりsenior memberの仲間入りだな」と言われた。素直に嬉しい。実際、この学会の居心地の良さは格別で、もはやawayではなく間違いなくhomeなのである。

振り返ってみれば、2002年度の在外研究(エディンバラ)で打ちのめされて*1、英語での論文執筆・国際学会への参加にすっかり腰が引けていた僕に対して、「それじゃいけないよ。一緒にオーストラリアに行こう!」とI先輩が強くencourageしてくれて、意を決してシドニーに飛んだこと(2008年)が最初のきっかけとなって、今のこの充実感がある。I先輩にはどれだけ感謝しても感謝しきれない。そして、この6年間の積み重ねの結果が(おそらく来年度春学期に従事できそうな)シドニーでの在外研究だと思うと、本当に小さな一つのきっかけ、決心が人生を大きく変えてくれるのだなと改めて実感している。*2

*1:エディンバラ大学では歴史学部に在籍していた。つまり、当時の僕は「経済」よりも「歴史」のほうに自分の研究のアイデンティティを認めて(or望んで)いたのだ。しかし、初めて書いた英語論文が、歴史系ジャーナルで受け入れられず、経済(学史)系ジャーナルで受け入れられて初めて、「経済」のほうに自分の研究のアイデンティティを認められるようになった。自分の勝負すべきフィールドは「歴史」ではなく「経済」である、ということだ。こうした認識なしでは、今回報告したケインズ論は生まれなかったであろう。

*2:HETSA 2015の開催地はシドニーらしい。何たる偶然!