Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

阪神・淡路大震災から20年

今日で阪神大震災から20年。ちょうどあの日は修士論文の提出日で、徹夜で最終チェックをし、ファイルに綴じる作業をしている最中に尋常でない激しい揺れを感じた。あれほどの恐怖を感じたことはそれまでの人生でなかったように思う。当時僕は、ごく一時的ながら、大阪(寺田町)に住んでいた。そんなこともあり、大阪と被災の記憶をつないでしまう回路が僕の頭の中でできあがってしまっている。大阪への印象がずっとイマイチなのもそのせいかも。実際、地震から2か月半後、4月には学部学生時代を送った京都へと逃げ帰った。

実家と2日ほど連絡がとれず(電話不通)たいへん落ち着かない時間を過ごした。地震が起きた時間帯には母が父の弁当を作っていることが多く、家は壊れないまでも油で火傷をしていないかとか、いろいろな心配が脳裏をかすめた。ようやく連絡がとれ、家族の安全が確認できた時は本当に嬉しかった。一刻も早く実家に帰りたかったが、鉄道網は寸断され、実家に帰るには、阪神梅田〜阪神御影、阪急御影〜阪急王子公園、JR灘〜JR加古川、というルートしかなく、二度の乗り換えが必要だった。阪神御影から阪急御影まで瓦礫の中を歩いて乗り換えたが、とてもこの世のものとは思えない光景だった。今でも鮮烈な記憶だ。加古川にある母の実家は半壊し、建て直しを余儀なくされた。その間、祖母と叔父がわが実家に避難していた。避難は半年間にも及んだ。自分の身内の被害がこの程度ですんだことを感謝しなければならない。大学時代の同級生が1名亡くなっていたことを後に知った。

あの大震災の記憶(特に視覚上の記憶)が強烈だったものだから、東日本大震災の被害状況を報道するテレビを僕はほとんど見なかった。今年度教えた1回生はあの大震災の直後に生まれた子どもたちだったことになる。様々な感慨が脳裏を去来する。

あれから20年たった今日、午前中は眼科(豊津)へ。午後は研究室にて論文執筆。帰宅後、娘をお風呂に入れる。とても平和で穏やかな一日を送ることができた。本当にありがたいことだと思った。

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