Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

2015年を振り返る

明日から実家に帰省する予定で、おそらく今日が2015年最後のエントリーになるので、2015年を振り返っておきたい。

やはり今年はシドニーでの在外研究の充実に尽きる! ビザの発行の遅れにより出発が一か月以上も遅れた(在外研究期間の一か月短縮を余儀なくされた)ことは本当に痛かったし、帰国後の大学の仕事のどうしようもない忙しさにも閉口した。しかし、こうしたデメリットを相殺して余りあるほどのメリットが、今回の在外研究で得られた。受入責任者のMatthew Smithさんをはじめとして、Rod O'Donnellさん、John Pullenさんら、旧知の間柄の優秀な研究者と身近に交流し、英語での論文執筆をsupport (instract?)してもらえたことは、在外研究でしか得られない経験だった。また、Matthewを通じてUniversity of Sydneyの(専門を異にする)多くのスタッフと個人的に親しくなれたことも、在外研究ならではの貴重な経験だった。おかげで僕の英会話能力は飛躍的に向上した(ただ、帰国後、英語を話す/聞く必要性がなくなってしまい、残念ながら再び低下してしまった)。University of Sydneyが提供してくれた研究環境は申し分なく(Matthewのご尽力のおかげだろう)、思う存分研究に打ち込むことができた。5年分くらいに相当する研究のネタを仕込めたように思う。英語での講義経験も貴重だった。

アウトプットの面でも見ても、拙稿を収録しているT中先生の退職記念論集が無事に公刊された。また、拙稿2本を収録しているだけでなく編者としてもかかわったS藤先生の退職記念論集も無事に公刊された。原稿の構想を練っていた頃、娘はまだ妻のお腹の中で、原稿を実際に書き始めた頃、娘はまだ寝返りも打てない乳飲み子で、その娘が今や3歳2か月で、毎日公園を所狭しと走り回っている。この2冊の書物は、今後、娘の成長の記録とともに思い出されることになるだろう。

徳・商業・文明社会

徳・商業・文明社会

保守的自由主義の可能性―知性史からのアプローチ―

保守的自由主義の可能性―知性史からのアプローチ―

後者に収録されている2本の拙稿は、個人的には、ここ数年でいちばんのお気に入りで、自信作である。良い仕事ができたと自分では思っている。

シドニーで書いた英語論文(マルサス&ケインズ論)は、某海外ジャーネルへ投稿し、数日前に査読の結果が届き、revise & resubmitすべしという状態だ。これをきちんと遂行することが、2016年の最重要課題となるだろう。シドニーの友人研究者の皆さんには本当にお世話になった。論文がacceptされることが、いちばんの恩返しになるはずだ。残念ながらrejectされてしまったマルサス&ペイン論のほうも、いつか何らかの形でリヴェンジしたい。このまま埋もれさせたくない。2012年以来、英語論文を公刊できていないのは、正直に言って、かなり悔しい。

2016年にやらねばならない仕事は他にもたくさんある。三人目の恩師HR先生の退職記念論集への寄稿は絶対に外せない。また、『経済学史研究』から依頼されている書評の仕事もある。これもまた外せない。そして、12月12日の経済学史学会関西部会での報告原稿、12月26日の経済学方法論フォーラムでの報告原稿を公刊可能な水準まで加筆修正しなければならない。2016年はマルサス生誕250年のメモリアル・イヤーなので、それに関係する仕事も控えている。おっと、超大事な仕事を忘れていた。僕が研究代表者を務めているバーク研究会の出版計画もあった。このように考えると、2016年に英語論文を新しく書いて海外の学会で研究報告することは、時間的な制約により、ほぼ不可能だと思う。HETSA 2016はまだ訪れたことのないメルボルンなので大いに惹かれるのだが、時間資源は有限なので、何もかもこなすのは不可能だ。渡豪は諦めるべきだろう。これまでやりかけたままになっている仕事をきちんと仕上げる一年にしたい。

以上は2016年の抱負だが、いずれにせよ、2015年がわが人生で一、二を競うほどの充実した一年であったことは間違いない。それは研究面だけではない。教育面でも、14期生が西日本インカレで優勝するという偉業をなしとげてくれた。あと、プライベートでは、特に大きな出来事とは言えないだろうが、娘が大病なくすくすく元気に育ってくれていることが、この上なく嬉しい。

来年は、健康と家庭を第一に考えつつ、今年以上に充実した一年にしたい。せめて志だけでも高く!