Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

2018年を振り返る

2017年もそろそろ終わりということで、毎年のことだが、この1年を振り返ってみたい。

全体として見ると、健康面の不調が顕著で、「何とかギリギリ乗り切ることができた」というのが本音だ。まず、何よりも、僕の健康面がひどかった。右手首の腱鞘炎、急性発疹、声帯炎症、喘息・・・と次から次へと不調に見舞われた。ほぼ1年間ずっと、どこかの病院に通っていた。こんな1年になってしまったのは、この8月に50歳の誕生日を迎えたことが案外大きいのではないか、と勝手に推察している。実は僕は、まるで「●●代モードから■■代モードへチェンジすべし」と天から告げられたかのように、10年に1回のペースで大きく体調を崩している。30歳の時は自律神経の乱れによる不眠に悩まされ、睡眠導入剤のお世話になったし、40歳の時も2度目の肺気胸を患って入院を余儀なくされた。そして、50歳がこれである。もはや偶然とは思えない。(とはいえ、別の見方をすれば、今年の体調不良をきっかけに40代モードから50代モードへと切り替えることができた、とも言えそうである。)

しかも今年は、僕の腱鞘炎と時期をほぼ同じくして、妻も左手首を複雑骨折した(来年2月に再手術の予定)。1歳の息子の世話にはまだまだ手がかかるのに、その肝心の「手」が父母ともに片方しか使えなくなってしまった。おむつ替え、お風呂といった毎日にことに突如として四苦八苦するはめになった。かなりの緊急事態ゆえに、義母に助けを求めることになり、結果としてかなりお世話になった。本当に申し訳なく思う。

待望のマイホームに引っ越して来たら、ほどなく夫婦そろって片手しか使えない生活に陥り、何だか呪われているような気もしたが、妻の「新居の厄落とし」という解釈を受け入れることにした。幸い、僕と妻が悪戦苦闘していたのとは対照的に、娘と息子は超健康な1年を送ってくれた。2人の成長が僕に与える喜びはまさしくpricelessである。

新居の住み心地はとても良い。もともと上の子が生まれるまで住んでいたエリア(左京区吉田)なので、妻が馴染むのもはやかった。児童館つながりでもともとつきあいのあったお母さんたちが近所に何名も住んでおられるのもたいへん心強い。僕自身にとっては、かれこれ30年前の学生時代から住んでいたエリアに復帰したわけで、精神的に楽なことこの上ない。それにもかかわらず、ここまで体調を崩したのは、おそらく、住み慣れたエリアに復帰したことによる安楽さを、校務多忙に起因するストレスが凌駕してしまったからだろう。

研究推進部副部長職は、任期4年の2年目を9月に終え、10月から3年目に入った。やりがいの大きな仕事であり、「ボトムを支える」のが好きな自分の性格に合っている気もする。しかし、全学の役職だけに、その仕事のために差し出さねばならない時間がかなり大きく、それがどうしても教育・研究・家庭へのしわ寄せを生じさせる。特に教育へのしわ寄せが大きく、予習時間が慢性的に不足していたばかりでなく、長時間の会議の後に教壇に立つために頭の切り替えがなかなかうまくいかなかったり、いずれにせよ講義の質の低下に悩まされることになった。自分の納得のゆく講義ができないことは、僕にとってかなりのストレス源であった。

沖縄と小樽での集中講義(8月)は、休める時に休まなかったという点で、後半の体調不良の引き金になったようにも思うが、それでも、久しぶりに講義に集中できる時間と環境を持てたことで、教えることの喜びを再認識し、大いなるリフレッシュメントになった。

研究面では3つ特筆すべきことがある。1つは若手研究者と共同での論文執筆が本格的に始まったことである。目下、O君、OZW君、IKGKさんという若手3名それぞれと共著論文の執筆を進めて(or準備して)いる。研究時間の慢性的な不足を補うための手段としての側面があることは確かだが、それに加えて、若手との意見交換から新たな気付きを得られることが予想外に多く、1+1が2ではなく3にも4にもなりうることを日々実感できた。O君とのジョイント論文(マルサス研究の延長線上でイギリス・ロマン主義研究へと本格的に乗り出したという点でも記念すべき論文)は先ごろ完成し、昨日学会事務局に送付したばかりである。

次に、研究面で特筆すべきなのは、まるで初渡豪から10年を祝うかのように、HETSAの学会誌History of Economics ReviewのEditorial Boardのメンバーに選出されたことである。10年前のデビュー戦は思い出したくもない苦い経験だが、そこでくじけず、10年間頑張り続けて本当に良かった。これでようやく「国際レベルで仕事をしている」と自負できるようになった。

最後、3つ目は、Jさんの修論指導をきっかけに、中国経済思想史(馬寅初)の研究をついに本格スタートさせたことである。もう5年くらい早くスタートできていたなら、恩師HR先生の退職記念論集にアジアをテーマとした論文を寄稿できたのだが、残念ながら間に合わなかった。しかし、自分の研究を最終的にアジアへ回帰させることは、20年以上前から僕の研究プランにあったものであり、ようやく機が熟してきた。今すぐは無理だとしても、数年以内に研究成果を論文の形で発表したいと考えている。

以下に記すのが今年の研究業績である。「全学の役職をこなしながら」ということを考慮すると、まぁ、がんばったほうではないだろうか。

  • 〈分担執筆〉

「政府の「なすべきこと」と「なすべからざること」――ケインズはムーアとバークから何を学んだのか――」只腰親和・佐々木憲介編著『経済学方法論の多元性――歴史的視点から――』第10章, 蒼天社出版, pp.313-340, 7月刊。

  • 〈論文〉

"Reviewing Edmund Burke's Concept of 'Revolution': An Overlooked Aspect of the Burke-Paine Controversy." Studies in Burke and His Time, Volume 27, The Edmund Burke Society of America, pp.41-55, 8月刊。

  • 〈書評〉

"Steven Kates, Defending the History of Economic Thought (Edward Elgar, 2013年)"『経済学史研究』第59巻2号, 経済学史学会, pp.185-186, 1月刊。

  • 〈学会・研究会〉

"Reviewing the Development of Malthus's Reformist Ideas from 1803 to 1806." Kyoto Conference on Classical Political Economy, 同志社大学, 3月7日。

「サウジーマルサス批判――「貧民の敵」マルサス像の起点を探る――」(王量亮氏との共著)マルサス学会大会, 尾道市立大学, 7月1日。

「ミルトン『失楽園』とマルサス人口論』――間テクスト的読解の試み――」(小沢佳史氏との共著)経済学史学会西南部会, 福岡女学院大学, 7月14日。

"Milton's Paradise Lost and Malthus's An Essay on the Principle of Population: A Neglected Intertextuality" (joint with Yoshifumi Ozawa), The History of Economic Thought Society of Australia, Curtin University, Perth, 9月28日。

「インターネット・AI時代を生きる大学生のための経済学史・思想史教育とは?――関西大学沖縄国際大学小樽商科大学での講義経験からの考察――」保守的自由主義研究会, 大阪市立大学, 10月20日

「サウジーマルサス批判――「貧民の敵」マルサス像の起点を探る――」(王量亮氏との共著)社会思想史研究会, 同志社大学, 12月22日。

「バーク美学思想の経済思想史的含意について」経済学方法論フォーラム, 関西大学, 12月27日。

音楽のほうはほとんど収穫のない1年だった。バンド練習はほぼ閉店状態だったし、ライブにも一度も足を運べていない。30数年間リスペクトい続けてきたドラマーNeil Peartは引退し、彼の在籍していたバンドRushも活動を停止してしまった。Baby Metalとの出会いが唯一収穫と言えるものかもしれない。

今年もこの拙いブログをお読みくださり、ありがとうございました。今年の更新は今日が最後になります。再開は来年1月6or7日を予定しています。来年は、校務のほうでは英語での授業を担当することが、研究のほうでは経済学史学会に常任幹事として関わることが、今年までとは違う大きな変化です。娘は4月から小学生になります。さて、どんな1年になることやら。

それでは皆さん、どうか良いお年をお迎えくださいませ。来年もよろしくお願い申し上げます。