Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

シドニー旅日記

2015年5-9月の在外研究以来、4年ぶりにシドニーを訪れることになった。HETSA(オーストラリア経済学史学会)の2019年大会が、在外研究時に客員研究員として在籍していたシドニー大学経済学科(school of economics)で開催され、それに参加するためである。

今回を含めると、HETSAへの参加は通算8回(2008, 2009, 2013, 2014, 2015, 2016, 2018, 2019)で、シドニーで開催されるHETSAへの参加は通算3回(2008, 2015, 2019)になる。在外研究生活を送ったばかりでなく国際学会でデビューしたのもこのシドニーの地であり、今やシドニーを抜きにしては僕の人生は語れない。my second hometownと言ってよいくらいの特別な街である。

10月1日:12時前に京都の自宅を出て、関空へ。乗り慣れたシンガポール航空便で、シンガポールを経由してシドニーを目指す。

10月2日(学会初日):10時半シドニー空港到着。13時前ホテルに到着。ホテルの近くのハンバーガーショップで昼食をとる。4年前に娘が好んで遊んでいた公園の真横にあったので、いきなり懐かしさで胸がいっぱいになった。娘(当時2歳半)はすべり台の下でお店屋さん(レジスター)ごっこをするのが大好きだったのだ。

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その後、ホテルで一休みして、17時半開始のwelcome partyに参加する。4年の間に経済学科の建物は別の場所に新築されていた。まずそれに驚く。

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それ以上に驚いたのは、4年前に同僚として親しくおつきあいいただいたDavid Kimさん、Tim Fisherさんが、僕に会いにわざわざ姿を見せてくれたことである。彼らの同僚であるTony Aspromourgosさんが今回の大会のlocal organiserということもあって、僕が来ることを事前に彼らに伝えてくれていたのだ。(Davidとは10/7に会う約束をメールでしていたが、)思いがけないタイミングで旧交を温めることができて、いきなり興奮が最高潮に達する。受付を担当していた若い女性Cynthiaさんが僕を見るなり認識してネーム・プレートを渡してくれたことにも驚いたが、実は4年前にシドニー大スタッフとの飲み会の際に彼女と話したことがあり、僕が完全に忘れていたのに彼女のほうが覚えてくれていたのだ。何とも失礼なことを。ただただお詫び。

10月3日(学会2日目):今回の大会には(おそらく)過去最大となる8名の日本人研究者が参加したが、イタリア、ベルギー、ブラジル、インドからの参加者もあって、これまでになく国際色豊かな大会となった。自分の報告はこの日でなく翌日だったが、この日は重要な任務が二つあった。一つは、日本の経済学史学会(JSHET)の常任幹事・企画交流委員会委員長として、総会においてJSHETとHETSAとの合同企画の可能性を探ることであり、もう一つは、この日の夜のコンファレンス・ディナーで、昨年亡くなられたHETSAの重鎮Peter Groenewegen先生に対するT中敏弘先生(JSHET名誉会員、元代表幹事)の追悼文を代読することである。どちらもそれなりの事前準備を要したが、何とか大過なくやり終えることができたように思う。

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T中先生は1981年の第1回HETSAに参加した唯一の日本人研究者であり、今日まで続くJSHETとHETSAとの近しい関係の礎を築いてくださった。再来年HETSAは創立40周年を迎える。このタイミングで僕はたまたまJSHETとHETSAの両方で役員を務めている。英語力がなかなか伸びなくて悩み続けている僕のような輩が、このような大きな仕事を果たして担えるのか、不安がないわけではないが、とりあえずできることから少しずつ積み重ねていきたい。

10月4日(学会3日目):自分の研究報告を行う。今回の大会では40年近いHETSAの歴史上初めて、パラレルセッション方式が採用された。同一時間帯に複数の報告が行われるわけである。伝統的なシングルセッション方式では収容できないほど多くの報告希望者を今回の大会は集めたわけだ。学会の人気・発展はうれしいものの、パラレルセッション形式は聴衆を分散させるというデメリットもある。裏番組に聴衆を取られて自分の報告で閑古鳥が鳴く事態を大いに危惧したが、それは杞憂に終わった。十数名の聴衆を獲得できて、まずは一安心。*1また、報告内容についても、思っていた以上に好評で安堵した。特にTony Aspromourgosさんからの評価が高くてうれしかった。彼は学問的にかなり厳しい方なので。Tony Endresさんからは「去年の報告ものすごく良かったけど、どこかのジャーナルに投稿したの?」と尋ねられた。これまた光栄なことである。

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この日はHETSAの学会誌(History of Economics Review)のEditorial board memberとして編集会議にも(初)参加した。大会もそろそろ終わろうとするかというタイミングで、かつての盟友Michael Patonさん(専門は中国の環境思想・哲学)が突然姿を見せてくれた。あまりのうれしさに"Michael! I've been missing you for a long time!"と叫んでhugしてしまった。

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4年前に僕の受け入れ役を務めてくれたMatthew Smithさんは、今回の大会ではTonyを支える裏方役に徹していた。大会の全プログラム終了後の、Tonyの労をねぎらうMatthewの言葉はなかなか感動的であった。

10月5日:学会本体を終え、今日からスーツを脱いで過ごす。Matthew家にて慰労会。そこに集ったメンバーのethnic originのバラエティがすごい。日、豪、伊、印、ベトナム、コリア、ギリシャ・・・これぞオーストラリア! Matthewが焼いてくれたビーフステーキは最高においしかった。

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もちろん仕事のほうも忘れずに。Matthewの次回日本招聘の打ち合わせ、インド出身のAlex Thomasさん(Tony Aspromourgosさんの元指導学生)に目下準備中の共同研究(植民地期インドをめぐる思想史)への協力依頼など。夜、Chinatownのbarで今回の大会ののkeynote speakerのFabio Petriさん(イタリア)とlocal beerを味わいつつ交流を深める。

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10月6日:NSW州立図書館へ(入館証継続手続き+資料調査)。

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意外に早く終わったので、昼食を大好きだったMilsons Pointのfish barで食べようとフェリーに乗って湾の向こう岸へ渡ったのだが、肝心のそのfish barがつぶれていてガッカリ。その後、Circular Quayを経由して、かつて自分が暮らしていたNewtown界隈を散策。かつて住んでいたアパートが健在でうれしかった。家族へのおみやげを買う。

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「帰って来たで!」 われながらとても良い表情。

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10月7日:Davidと面会。旧交を温めつつ、日本招聘への相談を進める。この時点で自分の英会話力が4年前のレベルにほぼ戻ったことを実感する。長時間会話することにストレスを感じなくなった。夕食後、ためこんでいた仕事メールの返信を一気にこなす。

10月8日:インドネシア中央銀行総裁によるスペシャル・レクチャー(写真は開演前のもの)、および、Fabioさんを囲むスペシャル・セミナーに参加する。

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初春ということで花粉症を発症したのか、鼻水とくしゃみが激しくなってきた。やばい。19時、シドニー空港を発つ。

10月9日:9時関空到着。13時過ぎ京都の自宅へ帰宅。

かくして、超濃密な8泊9日(機中泊2日)のシドニー出張を終えた。もともと天気の良いシドニーだが、今回の出張ではほぼ毎日晴天に恵まれ、しかも春が始まったばかりで、これ以上望みようのない快適さであった。4年前に構築した人間関係のネットワークのおかげで、9日間(実質7日間)ながら、一か月分くらいの仕事を要領良く効率的にこなせたように思う。ただ、欲を言えば、かつて自分が暮らしていたNewtownエリアを思い出に耽りながらもう少しゆっくり時間をかけて歩き回りたかったように思う。スケジュールがタイトすぎた。*2

4年前に頻繁に通っていた飲食店・カフェの多くがなくなってしまっていたことは残念だった。特に世界で最もおいしいカレーだと個人的に思っているGoat Curryを供してくれたネパール料理店Himalayan Char Grillの閉店は痛い。light railの新しい路線の敷設、Redfern駅のリニューアルなど、変わった点を挙げればきりがない。やはり4年はそれなりに長い歳月である。しかし、友人たちは4年前と変わらぬ、いや、4年前以上のやさしさをもって僕をwelcomeしてくれた。シドニーは本当に素晴らしい。ウソ偽りなく、誇張なく、my second hometownだ。

なお、今回の出張では、2015年にシドニーでの在外研究を一緒に過ごした後輩研究者HSMTさんと、多くの時間を一緒に過ごした。彼と4年前の思い出をたっぷり語り合うことができたことも、今回の出張をいっそう特別なものにしてくれた。彼のおかげで忘れかけていた多くのことを思い出すことができた。家族へのおみやげについてもアドバイスを賜った。厚く御礼を申し上げる次第である。

来年2020年のHETSAは9/30-10/2にメルボルンで開催とのこと。よほどのことがないかぎり、参加するつもりだ。

*1:全体としてどちらか一方のセッションに聴衆が偏ることはなかったようだ。

*2:もう少し時間的余裕があれば、元大家のGarethにも会って挨拶したかった。