Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

小田和正と仰木彬

お別れの会2


郵便局、コジマ、散髪屋に行く、そして(スローライフ実践中のため(?)少しばかり残してしまっていた)年賀状書きなど、休日らしい一日。

疲労困憊で夜遅くに帰宅する日が多いせいか、自宅でテレビをゆっくり見る機会はめったにないのだが、今日は久々にその「めったにない」日だった。NHK総合にんげんドキュメント 走る・小田和正団塊の世代への応援歌」(23:10-23:55)、毎日放送「人間・仰木彬〜最後の120日」(24:30-25:20)を見た。

1947年(昭和22年)生まれの小田和正さんは58歳。学生時代の同級生たちはもうすぐ定年を迎える。自分はいつまで現役でいられるのか。昔のようにいつでも高音が出せるわけではない。長期間に及ぶコンサートツアーは肉体的にかなり厳しく思えるようになってきた。蒸気を吸入して喉をいたわり、ジムに通って体力を維持しているが、それでもXデーは近い将来必ずやってくる。

リハーサルの後、走ると気管支が痛いよね。・・・体力が落ちるのは男として哀れだ。(小田)

声出ないと歌えない曲ばっかり。ごまかしのきかない曲ばっかり。調子悪いと思っている時にどうやって乗り切るんだろうと思う。そういう時はたまらない。(小田)

ここ数年、小田さんの作る歌には、いわゆるラブソングばかりでなく、同世代への応援歌が増えてきた。それに応じるかのように、コンサート会場には中高年の男性の姿が多く見かけられるようになってきた。他ならぬこの僕自身も、昨年秋、幼なじみのY君との18年ぶりの再会をきっかけに、昔二人で一緒によく聞いていたオフコースを再び聞くようになった。

これからは思い出と友だちが勝負。(小田)

「これから」を語るには、37歳の僕は若すぎるのかもしれないが、本当にそう思う。だから、これからの21年間(もちろんそれ以後も)、思い出」と「友だち」をもっと増やしていけるように、生きてゆければ、と思う。ちなみに小田さんは30年以上前に「ひとりで生きてゆければ」なんて曲を書いていたな・・・。

仰木さんについては、これまでも何度もこのブログで書いてきたので、多くは書かない。番組中の印象深い言葉を少しばかり紹介したい。

僕にとっては唯一の師。監督なしでは僕の存在もない。(イチロー)

仰木さんは西鉄(黄金時代)のセカンドで、球史に残った選手。その自慢は一度も聞いたことがない。・・・あんたはあんただ、ということですよね。(阿波野秀幸)

仰木さんと同じような形で人生を閉じたい。(王貞治)

仰木さんに声をかけられて子どものようにはしゃぐ(巨人時代の)清原選手、目を真赤に腫らしてインタビューに応える田口壮選手が印象的だった。1988.10.19の映像をようやくゲット。ただただ嬉しい。

自分のためにではなく、選手一人一人のために、球団のために、ファン(地域)のために、プロ野球界全体のために。それが仰木さんの監督人生だった。「あなたしかしない」という呼びかけに、命を削って応えようとした。

大学教員の世界とプロ野球の世界って、かなり似ていると思う。フロント(法人)と現場との微妙な力関係とか、セ・リーグパ・リーグの関係は国公立大と私大との関係に相当するとか、一つの学部の規模(選手数、専任教員数)が一球団のそれに近いとか、実力主義個人主義のように見えて、実際はチームに所属しないと仕事ができなくて、だからこそチームワークが見かけ以上に大切であるとか、師弟関係と呼べるものの存在(監督&選手、指導教員&学生)とか、それでいて切り捨てるべきものは切り捨てなければならない厳しさとか、等々。

スロー・イズ・ビューティフル (平凡社ライブラリー)

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