今年3月26日に(自分を含む)門下生4名で恩師・田中秀夫先生のご自宅へ弔問に訪れた際*1に立ち上がった「偲ぶ会」の企画が、一周忌を目前にした今日、ようやく実現にいたった。「社会思想史研究会・特別例会」と銘打ち、先の門下生4名が世話人となって、ご遺族臨席のもとで千里山にて開催した。出席者数は何と46名。京大関係者だけでなく、幅広い年代の研究者仲間、そして、たいへんありがたいことに、先生の前任校である甲南大の教え子の方々も、ご参加くださった。僕は前半の部の司会を務めた。
特別な日ということで、僕はご遺族から「形見分け」していただいた先生愛用のネクタイを着用した。そのネクタイに守られたのか、司会者としてあるまじき号泣――先生との思い出があまりに多く、いったん話し出すととめどなく噴出してしまうことを恐れていた――は何とか避けられた。
1990年、34年前の今頃(12月)、当時京大吉田キャンパス法経北館3階にあった田中先生の研究室を訪ね、「4月から田中先生のゼミで学びたい」と言って、面接を受けた。あの日のことがまるで昨日のことのように思い出される。内田(義彦)・水田(洋)・小林(昇)・(J.G.A)ポーコックのことを話されたことを、今でもはっきり覚えている。いざゼミが始まると、毎回の授業がとにかく楽しかった。学部ゼミの2年間で欠席したことは、所属劇団の卒業公演のあった週の1回だけだったように思う。休むのがもったいない、と思わせてくれるほど、知的興奮に満ち溢れたゼミに参加できた2年間は、わが人生の宝物である。大学院受験に失敗し、第二志望の大阪市立大学へ進学した後も、5年間、京大の大学院ゼミ(+方法論研究会)に参加させていただき、変わらぬご指導をたまわった。千里山就職後は、先生が代表者を務める科研費共同研究プロジェクトのメンバーに常に声をかけていただいた。僕のこれまでの研究者人生は、まさに田中先生に憧れその背中を追いかける人生だった。
僕と田中先生との交流は、先生の急逝により、33年で残念ながら終わってしまった。作家・城山三郎と山田雄三教授のような、半世紀近い交流を続け、お互い老境に入ってからの「二人ゼミ」の開催を密かに憧れていただけに、それがかなわなくなり、本当に残念である。
会場が千里山ということで、献花は僕のゼミの卒業生(5期生MTYさん)が経営する花屋「MORIYA」にお願いした。出席者の反応も超がつくほど上々で、彼にお願いして本当に良かった。このブログの読者の皆さん、「MORIYA」をどうかご贔屓に。素晴らしい腕前です。
mori8.com
本当に多くの方々のご協力のおかげで、2024年12月1日は、わが人生で忘れがたい大切な1日となりました。心より感謝申し上げます。天上の田中先生にご満足いただけたか、甚だ自信はありませんが、精一杯やりました。どうか安らかにお休みください。本当にありがとうございました。先生のおかげで、今の自分があります。
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