Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

原点

唐突であるのを承知で書くけれども…。

僕の実家は労働者街で大衆食堂を営んでいた。僕は幼い頃から厨房の中を忙しそうに立ち回る両親の背中を見ながら、そしてレジスターに記録された売上金額に一喜一憂しながら育った。両親がお客さんの相手に忙しい間は、二階に引っ込んで妹とブロック遊びなどをしながら時間をつぶした。寂しいけれども、我慢する以外になかった。商いの現場は、父母が父母でなくなり自分のわがままが許されなくなるという意味で、僕が人生で最初に出会った(あるいは、出会ったことを明確に自覚した)公的空間=社会であった。モノ・サービスを売ること・買ってもらうことの喜びと苦しみを目の当たりにしたことが、僕の人生の原風景としてある。その原風景の記憶こそが、僕に経済への関心を促し、僕を経済学部へと進学させたように思う。

今朝通勤の電車の中でたまたま読んだ本の中の一節が、そんな原風景を僕にはっきりと思い出させてくれた。

日本経済新聞』の「私の履歴書」(02年3月)に、世界的な経済学者である宇沢弘文・東大名誉教授が登場された際、「人間の心」と題した回で興味深い話を記されている。83(昭和58)年に文化功労者に選ばれ、文部省(当時)での顕彰式の後、宮中で天皇陛下からお茶をふるまわれたときの話だ。昭和天皇の前でそれまでどんな仕事をしてきたかを話す。宇沢氏は「すっかりあがってしまい」、「ケインズがどうの、だれがどうしたとか自分でもわけが分からなくなってしまった」。
すると、天皇が身を乗り出され、「キミ、キミは経済、経済と言うけれども、要するに人間の心が大事だと言いたいんだね」。宇沢氏は「そのお言葉に電撃的なショックを受け、目がさめた思いがした」。その理由をこう記している。
「経済学はホモ・エコノミクス(経済人)を前提にしている。これは現実の文化的、歴史的、社会的な側面から切り離されて、経済的な計算にのみ基づいて行動する抽象的な存在である。経済学では人間の心を考えるのはタブーとされていた。この問題を天皇陛下はずばり指摘されたのだ。私はそのお言葉に啓発され、経済学の中に人間の心を持ち込まねばいけないと思った」
これがきっかけとなって、宇沢氏は独自の新しい理論(「社会的共通資本」)を構築、国際的にも多大な貢献をし、これが評価されて97年には文化勲章を授与されている。しかし、世界に名を知られる経済学者が「電撃的なショック」を受けるかなり以前に、「経済学の中に人間の心を持ち込まねばいけない」と考え、実行していた日本の企業経営者がいた。ほかでもない、鈴木敏文氏である。
「モノ不足の時代には経済学だけで考えればよかったが、今の経済は経済学だけでなく、心理学で捉えなければならない」
「消費社会は単に経済の問題として捉えるのではなく、人間の心理に基づいて考えなければならない」
ことあるたびにそう力説する鈴木氏は、セブン-イレブンの創業当初から、人間心理を重視した経営を行っていた。例えば、第1章で、一店舗への納品のトラック台数が初めのころは1日70台にも上り、牛乳なら牛乳で、森永、明治、雪印……の各メーカーがそれぞれ独自に配送していたのを、地域別に担当メーカーが他社製品も混載する共同配送を実現した話を紹介した。無駄をなくし物流費を大幅に改善することが第一の目的だったが、メーカー側からは「よその商品など、うちの車には載せられない」「それなら、うちの商品だけ置けばいいではないか」と猛反発を受けた。そのときも、鈴木氏は「人間の心理」を説いて、各メーカーをこう説得して回った。
「牛乳がまだあまりなかった時代なら、一社だけの牛乳を置いてもみんな買ってくれたでしょう。牛乳を求める需要があり、そこに牛乳の供給があれば、買っていった。しかし、今はおたくの製品だけ置けば、お客を独占できるかというとそうではない。雪印、森永、明治……といろいろなメーカーのものを揃えることでお客は寄ってきて、結果として、一社だけを置いておくより、どのメーカーのものよりも多く売れるようになるのです。それが人間の心理です」
鈴木氏がこれを実際に実験して、単なる需要と供給の関係ではなく、「人間の心理」が作用することを立証して見せ、各メーカーを納得させた。(勝見明鈴木敏文の「統計心理学」―「仮説」と「検証」で顧客のこころを掴む (日経ビジネス人文庫 (か3-2))』, pp.84-6)

奇妙な偶然が重なって、僕は大学で(商いとはほど遠い)経済思想を専攻することになり、様々な幸運に恵まれて、今こうして大学の経済学部で「経済学説史」担当教員として働かせてもらっているが、僕にとって経済とは今でも「需要曲線/供給曲線」よりも「いらっしゃいませ/おおきに、またどうぞ」である。威勢のいい父の声である。お金のやりとりに終わらない、心のやりとりである。これが僕の思考の原点だ。2年前に受けた入試広報課のインタビュー*1でも同じようなことをしゃべっていたと、今さらながらに気づいた。人間はそんなに簡単に変わるものではない。

こんな僕は、経済学部の教員としては、永遠に異端であり続けるだろう。異端扱いですむならまだマシだ。「(経済学をわかっていない)ダメ教員」の烙印を押されるかもしれない。そのことで悩み苦しむこともあるだろう。でも自分の原点だけはどんなことがあっても守りたい。頑張るにしてもそのために頑張りたい。通勤電車の中のほんの2, 3分にすぎなかったが、37年11ヶ月の人生を振り返りこれからの人生を展望する貴重な時間だった。

さて、明日のゼミのテキストは鈴木敏文齋藤孝ビジネス革新の極意』だ。久しぶりに商売の話ができるかも。楽しみ、楽しみ。

寝る前の10分間筋トレ(下半身)→○(1セット) 今日のBGMはこれ。

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