Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

論文集『ビジネス・エシックス』(仮)

文句のつけようのない好天。しかし通常業務。研究室にこもって論文を書くのがもったいない。

論文集『ビジネス・エシックス』(仮)の第一次原稿の提出締め切りが目前(5月12日)に迫ってきた。これまで僕は勤務先の大学の研究所の紀要(双書)に2本のビジネス・エシックス関係の論文を発表している。この2本を論文を一般読者向けに簡潔にまとめ直すことが求められているのだが、なかなかうまくゆかない。

24,000字という字数制限はごく普通だが、「注は最大で10個。全体で1,000字以内」「ブックガイド=1点100字×5点」「1000〜1500字ごとに小見出しをつける」などの細かい要求が出版社(N社)から出されていて、その型に収めるのに四苦八苦している。

「組織と仕事」というのが僕に与えられた章のテーマなのだが、「働くことの意味」「年功制/成果主義」「リーダーシップ」「コミュニケーション」といったサブテーマのうちのどれに力点を置くと議論の見通しがよくなるのか、いまいち判然としない。軽重をつけても、軽いほうを注に追いやることができないため、重いほうの議論への組み入れ方が難しい。

今年のGW、大手メーカーは11連休らしいが、僕は昨日も明日も明後日も授業を抱えているので、大型連休気分など毛頭ない。2日(金)は授業がないので、訪れてみようと思っている。

帰宅後、少しだけ翻訳。‘that’は何を指しているのだろう? やっぱり‘absurdity’か? だとすると‘figure’の意味は? なんぼ考えてもわからん。出典は18世紀末イギリスの政治論文。

Nothing can present to our judgement, or to our imagination, a figure of greater absurdity, than that of seeing the government of a nation fall, as it frequently does, into the hands of a lad necessarily destitute of experince, and often little better than a fool.

自信のない試訳。2番目の訳は崩しすぎ? そもそも誤訳かも?

経験を必然的に欠いておりしばしば愚か者同然である若者が一国[民]の統治を掌握する--それは頻繁に起こることである--のを見ることの愚かしさ以上に、我々の判断力や想像力に対して愚かしい光景を示すものはありえない。

頻繁に起こることだが、経験を必然的に欠きしばしば愚か者同然である若者が、一国の統治を掌握している。それは、我々の判断力や想像力にとって、この上なく愚かしい光景であるに違いない。

英語学習歴28年にして、いまだにこのレベル。ほんまに、涙、ちょちょ切れる。

腹筋2セット。