Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

京大での授業は大盛況で嬉しい悲鳴

京大中央食堂


1限、経済学史@京大。2回目。経済学250年の歴史を4つの「革命」――アダム・スミス革命、限界革命ケインズ革命ケインズ反革命――に焦点を合わせつつ概観する。

履修者名簿が4月末まで確定せず、ましてや本務校ではないので、学生の動き(履修者数の増減)がまったく読めない。1回目の授業で座席が足りなくて立ち見が出てしまったが、2回目から出席者数が減ってくれると思いきや(事務サイドもそのように予想していた模様)、蓋を空けてみたら、またしても大盛況で、立ち見学生が出る始末。教室のキャパは200名ほどなのに、出席票(代わりのクイズ)を数えてみたところ、出席者数は300名超。1限なのに・・・。これではあまりにも学生に申し訳ないので、授業終了後、事務方に教室変更の希望を出した。おそらく来週からは出席者全員が着席して講義を聴講できるはずだ。非常勤講師だと、この種の手続きにも不慣れで(大学によってシステムが違うので)、どうしてもモタモタしてしまう。

1限から大盛況なのは「嬉しい悲鳴」だが、今日の力点は「嬉しい」よりも「悲鳴」のほうにある。遅刻すると座れない、講義資料がどこに置いてあるのかわからない、という状況では学生が気分を害してしまうのもある程度仕方ない気もするけれども、そこを割り引いても、遅刻学生の受講態度の悪さが目立った。

講義の最中であるのに、「講義資料がない・・・どこに・・・」と教壇の僕に話しかけ、講義を中断させる。あるいは、教卓上に置いている僕用の講義資料を断りもなく持ち去ろうとする。あれで講義のペースが大いに乱された。時間配分の体内時計が狂ってしまい、最後の15分ほどは自分でも嫌になるくらい駆け足の講義になってしまった。「水とダイヤモンドのパラドックス」や「セイ法則」については、もう少し丁寧に時間をかけて説明したかった。「ラッファー曲線」「公債の中立命題」「k%ルール」についてはまったく説明できなかった。悔やまれる。

また、受講に際して留意すべき事柄はすべてシラバスに記載されているのに、遅刻学生ほど読んでいない傾向が高いみたいだ。実際、講義終了後、関大の事務に京大の学生からとんちんかんな(出席票をレポートと勘違いした)問い合わせの電話があったらしい。僕は不在だったわけだが、いたとしても関大まで電話されて追いかけられるのは迷惑だし、そもそも彼/彼女には電話をかける前にやるべきことがあったはず。それ以前に、来週まで待てなかったのか。さすがに呆れてしまった。もっとしっかりして欲しいな。

出席点(1回につき4点加点)には(僕から見れば異常に思えるほどに)敏感だし*1、教室環境や講義資料の配布などについての権利要求も(僕から見れば異常に思えるほどに)強いのに、肝心の講義シラバスのほうは、きちんと読んでくれていないみたいだ。このあたりの感覚が僕には理解不能であったりする。あるいは、僕のほうがおかしい(古い)のか?

「出席票(代わりのクイズ)」については、京大の「経済学史」と関大の「経済学特殊講義4」で同じものを使用している。授業のレベル設定も基本的に同じ。どちらの大学でも、真面目に聴講してくれている学生の書いてくれたものは、同じレベルで素晴らしい。また、不真面目な学生の書いたものは、同じレベルでひどい。受講態度の悪い(ふてぶてしい)学生はどこの大学も同程度にいる。どこの大学でも頑張っている人は頑張っている。このあたりまえの事実を皮膚感覚レベルで確認できたことが、今回の非常勤の大きな収穫だったかも。母校の教壇に立てるのは確かに誇らしいことだけど、それと同じくらいに関大への愛も高まったかな。

・・・まぁ、最近のブログには珍しく、長々と書き連ねてしまったが、母校の後輩たちには大いに期待している。一生懸命ひたむきに教えるので、一生懸命ひたむきに聴講してもらいたい。来週から、本格的に「経済学方法論」の中身に入っていく。帰納的推論と演繹的推論の違いについて講義する。請う、御期待。

*1:全15回で10回を上限として加点するから、5回まで休めるのに、どうしてこんなに集まる? 僕が学生なら、4回目か5回目から教室に行くのに。正直に書くと、出席点の加点はできればやめたい。「受講者は多くても数十名程度だろう」とT中先生から事前に伺っていたので、出席点を設けたわけだが、これだけ受講者が多いと、出席管理(名簿への転記)だけでもかなりの労力を要してしまう。しかし、シラバスに書いてしまったので、今からやめるわけにはいかないな。