Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

S藤先生最終講義

大学院時代の恩師・S藤先生は今年3月末をもって杉本町にある北大和川大を定年退職される。*1今日、その最終講義が行われた。本務校の教授会(13時半開始)と日程が重なり、出席できない可能性が高かったが、最終講義が1限目(9時〜10時半)に設定されたため、ラッキーなことに最初から最後まで拝聴することができた。教室にはS本君、N西君、Y本君といった後輩ゼミ生たちの姿も見えた。

2年前のS銀先生の最終講義*2の時には、学部長による挨拶から始まるなど、セレモニー的なムードが教室を包んでいたが、そういうムードは皆無だった。「研究生活はまだまだ続く!断じて終わりではない!」ので、純然たる通常の講義として最終講義を行うことをS藤先生が強く望まれたらしい。とはいえ、講義の内容のほうは、ご自身の研究の歩みや34年間にわたる杉本町での教師生活を振り返りつつ、北大和川大学経済学部の学生が社会で活躍してくれることへの期待を熱く語る、最終講義でしか聞けない貴重なものだった。

僕自身が初めて耳にする(忘れているだけかもしれないが)内容が多かった。もともと根岸隆宇沢弘文門下で理論経済学者として研究者としてのキャリアをスタートさせた先生が社会経済学者・宗教経済学者へと転身する最初のきっかけは、ミクロ経済学における「不飽和の仮定」に対する疑問であり、その疑問との対峙の中で宗教学者エリアーデと出会い、それが決定的な転機になったらしい。

個人的にとりわけ印象深かったのが、先生が卒業論文指導に対して抱いておられる情熱である。ゼミのテキストとしてプラトンを用い始めてから、ゼミ生一人一人が自分の日常生活と関連づけながら主体的に考えるようになり、卒論のテーマも完全に自由化されたらしい。「どんなテーマでも許容するから、その代わり、自分の頭でとことん考え抜け」と。「10年後、20年後に読み返したくなるような、『自分はあの頃、こんなことを一生懸命考えていたんだ!』と思い出せるような、一生の記念になるような、そんな卒論を書いてもらいたいと強く願っていた。」「ゼミの卒業生の結婚式に招待されたら、出席前にその学生の卒論を必ず読み返すようにしている。そうするとその時のゼミの風景がありありと思い出される。」卒業論文指導について僕はほぼ100%先生の影響下にある。これまで意識したことがなかったので、びっくりしてしまった。師匠の影響力って、こんなにも巨大だったのか(苦笑)。

僕がS藤ゼミ生になったのは1993年4月なので、20年前になる。今、先生は64歳で、僕は44歳。20年前の先生はちょうど今の僕の年齢か。いろいろな意味で感慨深い。

杉本町から千里山に直行して、教授会と大学院委員会。終了後、ダッシュで帰宅。娘をお風呂に入れる時刻には何とか間に合った。娘との新しい生活が始まって今日で一週間になる。大学(研究室)で勉強できなくなった時間をどうやって自宅で補うか、模索していたのだが、妻子の就寝後の2〜3時間くらいが今のところいちばん安定的に使えそうだ。集中力もさほど妨げられない。今夜はこの研究書の第5章(ルソー論)を斜め読みした。

Edmund Burke: The Enlightenment and Revolution (Library of Conservative Thought)

Edmund Burke: The Enlightenment and Revolution (Library of Conservative Thought)

【8785】

*1:学部時代の恩師・T中先生も今年3月末で東鴨川大を定年退職される。

*2:http://d.hatena.ne.jp/nakcazawa/20110128