Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

賢すぎてバカ

今年の秋学期は午前中に授業がなく、その代わりに2部・フレックスの時間帯(6・7限)に4コマ(月7、火6、木6、金6)担当している。それゆえ就寝・起床時刻は普段よりもかなり後ろにずれこんでしまう。1〜2時に就寝、8〜9時に起床がパターン化しつつある。家を出るのが10時前くらいになり、通勤ラッシュに巻き込まれないのはありがたいが、帰宅が恒常的に23時過ぎ(時に午前様)になるのは、やはりしんどいな。朝型生活が健康にいいことはわかっていても、布団の魔力に抗しきれない。

今日は昼休みのFD(授業改善)・授業評価委員会の会議からスタート。大学の会議の大半は時間だけが無為に過ぎていくものだが、この委員会ではいつも活発かつ建設的な議論が飛び交うので、コミットのしがいがある。しかしどこの組織でもありがちなことだが、熱心にコミットすればそれだけたくさんの仕事が回ってくる。実際、来週水曜日のFDフォーラムの司会を任されてしまった。

発言権・影響力を確保しつつその手の雑務をいつも他人に押しつけている人を世間では「要領がいい」と言うのかもしれないが、僕はそういう意味での「要領のいい」人を「ギブ・アンド・テイクができない」人と見なして本質的に信頼しないことにしているので、自分自身がそういう振る舞いをすることには抵抗がある。頼まれた仕事は、「自分が信頼or期待されている証し」として、よほどのことがないかぎり引き受けるようにしている。貧乏くじを引いている気がしないでもないが、これは自分の性格というか信念の一部なので仕方がない。信頼関係というのは「この人のために一肌脱げるか」ということだ。それは一朝一夕に手に入るものではないし、大金を積んだり権力を行使したりして手に入るものでもない。ゆっくりと時間をかけて構築するより他ない。短期的な効率性を求めすぎると、組織の中で孤立してしまい、後になって大きなしっぺ返しを食らうことになる。そんな当たり前のことすら理解できない「賢すぎてバカ」な人が僕の周囲に増え続けているような気がしてならない。汚染されないようにしたいものだ。

3限の「英語塾」では「シザーハンズ」の前半を観る。4・5限は空きコマ。出張経費請求の事務書類を書いたり、来週の講義の配布プリントを印刷したり、ゼミ生からの問い合わせメールに返事を書いたりしているうちに時間が過ぎる。

6限は「大学院」(兼「番外ゼミ」)。今日から構造主義の勉強に入る。参加メンバーが論客ぞろいなので、議論が途切れることがなく、あっと言う間の90分だった。報告者のM本君が用意してくれたレジュメの半分も進まないうちに時間切れとなってしまい、残りはやむをえず次週に持ち越し。この調子では秋学期中にレヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅰ・Ⅱ』を読破するのはかなりしんどい気がするが、読み終えたばかりの辻信一『スロー・イズ・ビューティフル』に従って、「遅さ」の価値を尊重することにしたい。上に書いたように、信頼関係も「遅さ」の産物なのだしね。