Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

『饗宴』の競演--岩波文庫vs新潮文庫--

新潮文庫版『饗宴』を購入。一昨日のブログで問題にした箇所(アポロドロスの台詞)の訳文を岩波文庫版と対照させてみた。

僕にとっては元来フィロソフィヤに関する談論でさえあったら、自分でそれをするにしろ、他のを聴くにしろ――それからいつも受けると信じている利益などは論外にしても――、この上もなく嬉しいのだ。反対に何か別種の話を、――とりわけ君たち金満家や金儲熱心家の話を聴くと、僕は自分でも不興に襲われるし、また僕の友人の君達も、気の毒になるのだ、何もしないくせに何かひとかどの事をしていると自惚れているのだからね。ところが、君達の方ではまた恐らく僕を不幸な者と思っているのだろう、そうして僕も君達がそう信ずるのは正しいと信ずる。ところが僕は、君達については、単にそれを信ずるのではなくて、たしかに知っているのだ。(岩波文庫・久保勉訳、46ページ)

僕という人間は、とりわけ、知を愛しもとめる哲学についての話でさえあれば、それを僕自身がやるにせよ、他の人から聞くにせよ、身のためになるという考えなど離れて、ただもう楽しさでいっぱいになる。ところが、哲学以外の話を言ったり聞いたりする段になると、いや、とりわけ君たちの話、金満家や実業家たちの話になると、僕自身も悲しい気持ちになるし、同時にまた、相手の君たち友人があわれに見えてならないのだ。だって、君たちは、これということは何ひとつ行なってもいないのに、ひとかどのことをやっている気でいるんだものね。だが、なんだろうね。おそらく君たちのほうでも、僕のことを、悪魔に魅入られたあわれな奴と思っているかもしれない。いや、その君たちの思わくは、けだし至当だと僕は思いはする。しかしだ、いいかね、僕のほうは君たちをあわれだと、ただ思っているだけではないんだ。君たちのあわれなる次第を、しかと知り抜いているのだ。(新潮文庫・森進一訳、9-10ページ)

何度読み返しても、この箇所に関しては、新潮文庫のほうがより自然な訳文だという気がするな。

饗宴 (新潮文庫)

饗宴 (新潮文庫)