本来なら3・4・5・7限と4コマも授業を抱え大忙しの月曜日なのだが、今日は特別に3限(4期ゼミ)、4・5限(3期ゼミ)を休講にしたので7限のみ。昼食を自宅でとり*1午後からゆっくり出勤という贅沢を享受できた。研究室では『経済学会報』に掲載される期末試験の模範答案(解答の指針)の仕上げ、学会出張書類の作成など。7限の「経済学説史」は、その日最初の授業なので、疲労感もなく舌の回転も滑らかで、自分でもかなり納得のゆく授業をすることができた。
帰りの電車の中でたまたま鞄に入れていた山田太一『異人たちとの夏』*2を読み始めたのだが、これが大失敗だった。読み進めるにつれて、2年前に肺がんで他界した父のことを思い出して、胸が苦しくなってきた。樟葉を過ぎたあたりで*3感極まって声をあげて大泣きしそうになり、やむをえず本のページを閉じた。隣に座っていた若い女性は僕の異変に気づいていたのだろうか。眼元ウルウル。本当に大恥寸前だった。危なかった。
僕は今37歳だが、26年前(当時僕は11歳)、父も37歳だった。もし今の僕が26年前の父に出会えるとすれば、どんな会話をするだろう? 「オヤジのパワーの源は何?」なんて野暮な質問をしてしまうのだろうか? 友情の絆を結べるのだろうか? スケールの違いに圧倒されて黙りこくってしまうのだろうか?
久々に文学の力のすごさを思い知らされた。今もまだ身体が火照っている。