10時半から東鴨川大学経済学研究科にて学位論文の口答試問(公開審査会)。悔しさいっぱいの1時間半であった。
今日くらいは欲深さを許してもらいたい。おそらく人生最後の試験である。16年間を費やして書き上げた学位論文である。「可」でも「良」でもなく、どうしても「優」が欲しかったのだ。*1
従来の研究のフロンティアをどのくらい拡大できたのか? それなりの自負はある。過大評価はしていないつもりだ。しかし、結果的に、審査員や聴衆の印象に残ったのは、欠けている何かのほうだったようだ。質問はそこに集中した。限られた紙幅で何もかも論じることが無理なことはわかっている。その欠けている何か(枝葉)が気にならないほどの魅力的な何か(幹)を描けなかったようだ。能力不足。これに尽きる。
凡ミスをしでかしたのであれば、「仕方がない」と自分を慰めることもできる。しかし、今回はそうではない。これ以上は書き足すべき(or推敲すべき)ところはない。そう言いきれるくらいまで、自分を追い込んで出版に至った本である。自分の能力の限界に挑み、それを相当なレベルで出し切れたとの自負があるにもかかわらず、期待していたほどの反応が得られなかった。自分の能力の限界を思い知らされた。だから、悔しいのである。
「打たれ強さも実力のうち。」ゼミ生には繰り返しそう説いてきた。僕自身が立ち直って(ちょっと大げさ)、範を示さねばならない。
ともあれ、大学院に進学してから16年と3か月が過ぎて、ようやく本日、長らく従事してきた仕事に一応の区切りをつけることができた。これからが本当の勝負である。次回こそ(それがいつになるのかわからないが)拍手喝采を浴びたい。それはかなわない夢かもしれないが、実現を目指して精進したい。
追伸:ご多忙の中、審査委員の先生方3名以外に、十数名の後輩院生がご参集くださいました。ご多忙の中、本当にありがとうございました。皆さん一人一人に支えられて、こんな僕でも、何とか研究を続けられております。今後の奮起をご期待下さい。
*1:6月29日追記。一週間が過ぎた。今になって振り返ると、「大学院入試を失敗した時の悔しさを最後の試験である口答試問でリベンジしたい」という気負いがあったように思う(その時は無自覚だったが)。かつて「要らん」と言われたので、今度こそ「欲しい」と言われたかった。しかし、口答試問は賞賛を期待すべき場でない。それは趣旨に反する。それにもかかわらず、欲深さを捨てきれなかった。ないものねだりの一人芝居を演じてしまった。今日同僚Hさんからご本人の口答試問の話をうかがって、そのことにようやく気づかされた。悲しいかな、自分はどうしようもなく過去の奴隷であることよ。でもそこにプラスの意味を見出すことこそ、保守主義的な思考の真髄なのかもしれないな。