Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

卒論初稿の提出&ゼミ指導の苦悩

今日18時を16期生の卒論初稿の提出締切に定めていたために、宵の時間帯は提出ファイルのチェックに忙殺される。去年(15期生)は2名が未提出のまま私的な旅行へ(僕の制止を振り切って)出発してしまうという無責任きわまりない行動をとったので(それでもクビにできないのが今のシステム)、今年から卒論初稿の提出と「経済学演習4」の単位をリンクさせることにした。未提出の場合は成績評価が不可になる。去年までは8月末日を締切に定めていたが、それでは成績入力の締切に間に合わず、提出見込みで成績入力せざるをえなかった。「学生主体」を旗印として掲げている弊ゼミとしては本当に情けないことだが、もはや性善説を前提にしたシステムを維持するのは不可能だと判断した。こちらが甘い顔をすると、それだけサボるゼミ生の数が増えるのが、ここ数年の悲しい傾向なのだ。もはやゼミ生に好かれたいなどとは微塵も思っていない。彼らをしっかり勉強させて実力を引き上げることこそが指導教員のいちばん大切な仕事だ。嫌われてナンボ。そのための手段として厳正な成績評価は不可欠である。それを通じて「好き/嫌い」でなく「できる/できない」「やった/やらなかった」にもとづいて社会が動いていることをゼミ生たちに学んでもらわねばならない。能書きは要らない。行動したのか、しなかったのか。結果を出せたのか、出せなかったのか。社会はそれを見て君たちを評価するのではないか。

繰り返しになるが、こんなふうにゼミ生の自主性を信用できないことを前提としてゼミ運営のシステムを組み直さなければならないのは、指導教員として大いなる挫折であり、屈辱以外の何ものでもない。しかし、16期生の学生生活も残り半年ほどとなり、「結果を出させる」ことを最優先すると、こうした指導方針の変更もやむを得ないように思える。16期生の一人一人の能力はこれまでのどの学年にも勝っていたように思う。しかし、お互いが牽制し合い、遠慮し合い、足を引っ張り合ったために、切磋琢磨し合うライバル関係になれなかったことが、成長の足かせになった。もともと自力のあるM君、U君、A君らがライバルとして競い合ってくれたなら、Oさん、Tさん、Nさんらがライバルとして競い合ってくれたなら、今のような低空飛行にはならなかったはず。本当に悔やまれる。最初から最後までバラバラだった。面倒なことに巻き込まれたくない。孤立するリスクは背負いたくない。要するに、みんな臆病なのだ。しかし、それは裏を返せば、才能、地頭だけではダメ、ということだ。他者に対して開かれた(≒他者に努力を促すような)努力こそが、最高かつ最強の才能だと僕は思う。臆病な人間、怠惰な人間が成功を手にできるわけがない。

この点では僕にとって9期生こそがいまだにゼミ史上最強の学年である。*1一人一人の能力がさほど高いわけでもないのに、お互いを刺激し合う相乗効果がものすごく、鳥肌が立つほどであった。仲は良いけど、クールな仲の良さ。決して群れない。親しいから、信頼し合っているからこそ、ここぞというタイミングで愛情あふれる口調で厳しい内容も言える。何事にも全力投球。4回生になってもゼミ活動への意欲は衰えず、関関戦にも出場。心地よい緊張感に包まれた人間関係が最初から最後まで素晴らしかった。卒業後に会っても、みんな(苦境の中でも)前向きで、キラキラしている。どうしてこういう関係を目指さないんだろう?

*1:3期、14期も同じくらい素晴らしかったけれども。