Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

民主党代表選挙

初めての政治ネタ。

先の総選挙で我が京都2区から当選した前原誠司氏が民主党代表選挙に出馬するとのこと。自分の居住する選挙区から初めて大物政治家が誕生する気配なのだ。総選挙での敗北、エリートで若いリーダー、社民リベラル政党(?)の右派、労働組合依存体質に批判的等々、トニー・ブレア労働党の党首になった時のイギリスと状況が酷似している気がする。今後の政界の行方を占う上で非常に興味深い。

先の総選挙で民主党政権交代を叫んでいたが、自民党という政党がそもそも多数の派閥の寄り合い所帯で(欧米の基準に照らせば)政党としての実体に乏しかったことを鑑みれば、実は自民党内でドラスティックな政権交代が起こったと見ることも可能だ。実際僕はそのように見ている。小選挙区制は中選挙区制と比べると党首の存在が大きい。我が国にはリーダーがリーダーとして与えられている権限をフルに発揮することを嫌う風土があるように思われるが、小泉氏ほど総裁としての権限をこれでもかとばかりに振りかざした自民党のリーダーを、僕は寡聞ながら知らない。リーダーの方針に従わない議員を党から追い出してまでして、党内に政策上のコンセンサスを形成しようとしたわけだから、これは自民党の歴史において画期的・革命的な出来事だった気がする。そうなると有権者の眼には、真偽は別にして、岡田氏のほうがリーダーシップを欠く頼りない存在に見えてしまった。改革派のリーダーにしては旧式に見えてしまった。「小泉がベストとは思わないが岡田よりはましだろう。」有権者がこのように判断したことが、自民党圧勝、民主党惨敗の主たる原因ではないだろうか。自分のゼミ生を見ていてもリーダーシップへの関心の高まりを感じる。リーダーシップが鍵だ。

当選後のインタビューで、旧社会党系の民主党議員は、開口一番に「平和」を唱えていた。旧自民党系の議員とは明らかに色あいが違っていた。民主党の雑居性、まとまりのなさを反映しているように思えた。実体は別にして、少なくとも見た目の上ではこうした雑居性を改善するだけのリーダーシップを新代表が発揮できなければ、それが党の存亡を決することになるだろう。もっとも、あまりにも一枚岩だと、それに対して「気持ち悪い」と思う感性を国民の多くは持ち合わせているように思えるから、リーダーシップ発揮のタイミング、バランスが重要だ。この点において小泉氏が巧みだったことは確かだ。

僕の担当する「経済学説史」は、「経済政策思想史」の側面が強いから、政治と経済の関係についてもっといろいろな角度からきちんと話したいと思っている。しかし、抽象論を避けようとすると、既存の政党の具体的な政策について言及・論評せざるをえなくなる。多種多様な思想・信条を持った多数の学生を相手にしている以上、一歩間違えると特定の思想・信条を学生に強要しているようにも受け取られてしまう。それは怖い。かと言って「僕は価値中立的だ」と言うのもうそ臭い。社会科学を教えることの難しさの一つはこの点に存するように思える。

教員としての立場上、この程度の政治ネタですら、いざ書き込むとなると、かなりの勇気を必要としたのだ!