Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

最初の教え子の結婚披露宴に出席

千里山大学での最初の教え子S君の結婚披露宴に出席する。

「最初の教え子」と書いたが、彼はいわゆる「ゼミ1期生」ではない。僕がゼミを担当するようになったのは千里山大着任3年目の2000年からで、ゼミ1期生は1998年4月入学(2002年3月卒業)生であるが、S君はその2学年上の1996年4月入学(2000年3月卒業)生である。実は彼はもともと僕が98年度に担当した「英書講読」(大学教員としての最初の担当科目!)の受講生。翌99年度も「経済思想史」と「基礎経済学」を就職活動の合間を縫って熱心に聴講してくれた。

S君の自宅は三条京阪にほど近く、帰るルートがまったく同じなので、毎回のように一緒に帰り、授業のコメントを彼に求めた。彼の率直なコメントのおかげで、僕は黎明期の授業に特有の迷いを払拭することができた。彼と出会っていなかったら、僕の授業スタイルは今とは相当に違うものになっていたように思う。

本来「基礎経済学」は社会人編入生(3回生)向けの入門科目なのだが、S君は単位と無関係に自分自身の興味から出席してくれた。そこで僕がたまたま伊藤元重流通革命の経済学』をテキストとして用いたことがきっかけで、彼は流通業界を志すに至った。その意味で僕は彼の人生を左右してしまった。本当に教師とは恐ろしい商売である。

交わりは卒業後も続き、互いに「ゼミ0期生」を認め合う関係になった。平成不況のどん底期に社会人生活をスタートさせたS君のその後の歩みは、決して順風満帆なものではなかったように聞いているが、苦しい時期を真摯に耐え抜いてきた者だけが放つことのできる威厳のようなものを、今日は強く感じた。

早いものでS君も30歳になったとのこと。僕が彼と千里山の教室で初めて出会った1998年4月、僕は29歳で彼は21歳だった。今(30歳)の彼が年下のあの頃(29歳)の僕の授業に出席できるとしたなら、どんなコメントを残してくれただろうか? 僕らはどんな関係を結んでいただろうか? 人生に「もしも…」はないだけに、余計にその「もしも…」に思いをはせてしまう。宴の最後のスピーチは、新郎・新婦ともに、新しい門出にふさわしい素晴らしいものだった。一生忘れないと思う。

ワインの酔いが身体に回るのがとてもはやかったよ。