Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

仕事始め

今日が仕事始め。大学へ。卒論報告会(明日)の準備、非常勤講師任用のための履歴書作成、仕事メールの返信など。

年末から年始にかけて、低迷を極めている16期生の新体制について考えをめぐらせていた。

欠席・遅刻の多さに象徴されるように、歴代の学年で最もゼミ活動への意欲が低く(少なくとも意欲が行動に結びついていない)、言い訳、甘え、馴れ合いが蔓延してしている。一次募集で不合格になって二次募集で再チャレンジし合格した学生は、例年であれば負のエネルギーを2年半にわたって炸裂させて、すごい戦力になってくれていたものだが、16期生ではこれまでの1年半、まったくの不発であった。期待が大きかっただけに、たいへん落胆している。これまでやってきたような17名が一堂に会しての授業形態では、もはや誰一人これ以上の成長が見込めない。1+1が3になるどころか、エネルギーを奪い合って(あるいは、足を引っ張り合って)2にすら届かないケースがあまりにも目立つ。「学生主体」の理念は完全に形骸化し、「主体」的にサボることを正当化するようになってしまった。こんなことは今年度いっぱいで終わりにする

この惨状を残り1年で立て直すためには、1人1人がこれまでの自分を見つめなおし、もっと緊張感をもってゼミにのぞみ、すすんで責任を引き受けるようなまったく新しい授業形態へと移行するしかない。そこで、いったんすべての人間関係をリセットし、新しいゼミ活動の方針に共鳴し、その実行を約束してくれた(旧)16期生だけを、新しい16期生として迎え入れようと思う。誰一人として「nakcazawaゼミを選んで失敗だった」と思って卒業してもらいたくない。全員は無理だとしても、1人でも多くの16期生に「やっぱりnakcazawaゼミを選んで正解だった」と思って卒業してもらえるよう、最善を尽くしたい。

荒療治だが仕方がない。1月15日の授業で直接伝えるつもりだ。最初はショックを受けるかもしれないが、丁寧に言葉を選んで説明すれば、僕の真意は伝わるはずだし、17名全員にとって現状維持よりもずっと良いことがわかってもらるはずだ。

以下、今年の抱負(のようなもの)。

完全にやめることは無理なのだけれど、今年から毎年少しずつ日本語の仕事の比重を低くして、英語の仕事の比重を高めてゆきたい。*1残された人生における可処分時間の乏しさを考えると、仕事における選択・集中は避けられない。あれも、これも、は絶対に無理。翻訳にも興味はあるけど、自分に比較優位はないと思う。今回大会組織委員の仕事をしていて改めて確認できたのは、英語での仕事(司会・討論者)に対するJshet(日本の経済学史学会)メンバーの想像していた以上の及び腰。ぜんぜん英語は得意ではない僕だが、そうした及び腰とは無縁なので、やはりそこに自分の比較優位を見出さぜるをえない。日本語で啓蒙的な仕事をしたり、すぐれた翻訳書を仕上げたりする仕事は、それが天職の方にお任せしようと思う。

英語力の増強はもちろんだが、それに加えて中国語の勉強をやりなおす時間を今年はぜひ作りたい。中国語文献を正確に読めるようになると、自分の経済思想史研究者としての可能性が格段に広がる。25年間バークとマルサスの研究をやってきて、その区切りとなる『バーク読本』とErasmus Journal論文を去年公刊できたから、可能ならば研究の軸足をこれから少しずつ中国に移してゆきたい。語学の習得にはとにかく時間と集中力が必要だ。役職で疲れていては、かなわぬ願い。研究推進部副部長の任期を満了した後に別の役職が回ってこないように、今から策を練っておかないと。特に学部長だけはご勘弁願いたいものだ。

本当に疲れがとれにくい体になった。これが50歳か。認めたくないが、事実なのだから、認めるしかない。去年のような働き方をしていると今年は絶対に倒れてしまうので、今年はできるだけ休日を休日として過ごすことを心がけたい。

*1:そう思って、某新聞からの書評執筆の依頼をお断りした。