Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

15期生卒業論文報告会

15期生卒業論文報告会


14回目となる恒例行事である。*117名全員が報告を行った。*2参加者は現役ゼミ生33名(4回生17名、3回生13名、2回生3名)、4回生のご家族が15名、OB/OGが5名、合計53名であった。今年も多くの方々にご参集いただいた。ありがたいことである。ただ、17名のプレゼンは準備にかなりの濃淡があった。遠方から足を運んでくださった方々がいるにもかかわらず、プレゼンを一夜漬けの「やっつけ仕事」ですませたのが明白な4回生が少なからずおり、失礼きわまりなく、申し訳なく思う。

晴れの舞台であるが、晴れの舞台であるがこそ、深刻な問題を抱えていることを告白せざるをえない。それは卒論の平均的な質がここ数年(12期生あたりから)徐々に低下してきていることである。おそらくは、読書量の減少による「考える力」の低下にもかかわらず、インターネットの普及のおかげで、検索さえすれば字数一万字超の論文でも比較的簡単に作成できてしまうことである。そのため、解明すべき問題の入口にようやくたどり着いたにすぎない(本格的な議論は手付かず)のに、字数などの形式要件さえ満たしていれば、「これで完成した(≒単位はもらえそう)」と勝手に思い込み、それ以上のブラッシュアップに消極的な態度を示すゼミ生が次第に目立つようになってきた。あるいは、(一度も論文を書いたことがないにもかかわらず!)「まだ時間は十分にある」と勝手に計算して、僕の再三の警告を聞き流して執筆を先延ばしにし、結局締切直前にドタバタするゼミ生も、今や毎年確実に何名か出現する。当然、卒論の質は低い。そもそも「これだけはどうしても自分の納得できる言葉で表現したい」というこだわりが薄まってきている。貴重な自己成長の機会を自ら放棄してしまう。要するに、20名近いゼミ生全員の質保証がきわめて難しい局面にさしかかっているわけだ。

単位ギリギリレベルのしょぼい卒論(≒どこかのブログやネットニュースに書いてありそうなことの羅列)を自信たっぷりに報告されても、後輩ゼミ生にとって害悪以外の何ものでもない。しょぼいまま提出させたくはないのだが、何かと理由をつけて学びから逃走する傾向が毎年少しずつ強まってきている。去年卒業した14期生がたまたま素晴らしい学年だったため、一時的に持ち直したものの、それはあくまで例外と見なすべきで、第1回(2期生)から15年という歳月を経過して、卒論報告会というイベントが制度疲労を起こしかけていることは確実である。来年は卒論報告会をやめるかもしれないし、やるにしてもやり方をこれまでと根本的に変えて、選抜メンバーだけでこじんまりと行うべきかもしれない。

こう言っては根も葉もないが、読書習慣のない者が多数集まると、「学生主体」の理念を悪用して、できるだけ本を読まずにすむ方向へとゼミをシフトさせてしまうので、結局、その場かぎりの盛り上がりに終始して、考える力がいっこうに身につかないのだ。ただ、ゼミ指導教員は学生と週に1コマ接するだけなので、学生の日常の生活習慣を根本的に改めさせることはきわめて難しい。とにかく、来る日も来る日も彼らは勉強以外の何か(バイト?)に忙しく、読書の習慣が壊滅している。じっくり腰をすえて本を読むという経験を大学生がここまで軽視する時代になってしまっているとは驚きであり、そんな彼らがこれからの日本を支えていく人材であることを考えると、日本の未来が不安でならない。

かなり愚痴ってしまったが、これは15期生に対してではなく、ここ数年の卒論指導をめぐる雑感を記したものだとご理解いただきたい。15期生の卒論でも、Oさんの趣味縁(ソーシャル・キャピタル)、Yさんのしまなみ街道、M君の内申書改革など、読んでいてワクワクしてしまうようなものもあった。しかし、期待の大きさゆえ、「もっと深いレベルで考察できるはず」「もっとワクワクさせてくれ」という感想のほうが強くなってしまうのだ。手堅すぎて破天荒さに欠ける卒論はさびしい。もっともこれは読書離れと言うよりは卒論必修化の弊害なのかもしれない。誰だって強制されたものは好きになれないはずだから。

「自分たちはよく頑張った」と自画自賛されては困るので、17名全員の報告終了後、5分間だけもらって、15期生に対する「最後の授業」を行った。僕が15期生に身につけてもらいたかった(しかし十分には身につけてもらえなかった)こと5つ。

  • ①メモをとる
  • ②相手の立場になって考える・行動する
  • ③時間・締切を守る
  • ④本を読む
  • ⑤準備をする

15期生はとても愛らしい学年だった。甘えん坊だった。どのゼミ生もかわいい。そう思うからこそ、「もっと頑張れたのではないか」「もっと頑張るように強力に煽るべきだったのではないか」という後悔に近い思いも同時に湧き上がる。学生の潜在的能力を十分に発揮させたうえで社会に送り出すことこそ、大学教師のいちばんの仕事だと、常日頃から考えているものだから。

勉強は面白い。卒論執筆は楽しい。それを一人でも多くのゼミ生に伝えたい。果たして来年の今頃、ゼミはどうなっているのだろうか?

*1:昨年の報告会は以下参照。http://d.hatena.ne.jp/nakcazawa/20170107

*2:もともと18名だったが、Mさんの休学&カナダ留学により17名に。