Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

2019年を回顧する

明日から家族四人そろって両実家へ帰省するのだが、この期に及んでいまだに仕事が片付かず、日曜日にもかかわらず出勤する。まる一日を要して、12月末日締切の原稿を2本(残り1本だと思っていたのだが、今日の作業の最中にもう1本残っていることが判明した)仕上げる。何とかギリギリ間に合った。

今年に最後の日記になるので、この一年間を簡単に振り返っておきたい。

これまでの人生でもっと多忙で、肉体的にも精神的にも厳しい一年だった。特に9月以降の忙しさは尋常でなかった。もともと秋学期(9月以降)はゼミが3学年同時に走り、大会(インカレ、ディベート)や卒論の指導もあって、春学期よりもかなり忙しいのだが、そこに全学の役職(研究推進部副部長)、さらに英語での授業の準備と経済学史学会の常任幹事の仕事が重なって、本当にいつ倒れてもおかしくない状況だった。1か月に休みが3-4日しかとれない状況が続いた。それでも倒れなかったのは、これまで何度か過労でダウンした経験からか、「これ以上がんばるとやばい」という加減を体が覚えていたからであろう。やばそうな感じがした日は残業せずにおとなしく帰宅した。しかし、膨れ上がった仕事を片付けるのがそのぶんだけ遅くなり、クリスマスを返上しても12/29に大学で仕事をするはめになった。これは大誤算。しかし、声帯の炎症も喘息も発症せず、ダイエットの成果も着実に出ているので、体へのダメージは極小化できたように思う。もちろん、妻の健康管理にはどんなに感謝してもしきれない。

研究のほうは、十分な研究時間を確保できず、大いに悔いが残る。バーク『崇高と美』については少しだけ研究を進められたが、それ以外の新しい研究は手付かず。いくつかの原稿は締切に間に合わせられず、謝罪して次号回しにしてもらった。あまりにも時間がなくて、これ以上努力しようがなかった。ただ、2015年の在外研究以来、4年ぶりにシドニーを訪れ、旧友たちとの再会を果たせたことが、今年のいちばんのハイライトだったかもしれない。この上なく幸せな時間を過ごせた。

教育のほうは、釧路公立大学での集中講義が、熱心な受講生に恵まれて、とても刺激的で楽しかった。秋学期以降の関西大学での講義にもプラスに作用してくれたように思う。そして、今年のもう一つのハイライトは、人生で初めて英語オンリーの授業を担当したことだろう。勝手がわからず、どんな感じで授業を進めるべきなのか、悩みまくっていた。授業開始後も、受講学生の英語力に個人差がありすぎて、悩み続けた。予習に時間を取られすぎて、他の仕事に支障が出てしまい、これも悩ましかった。しかし、最後まで予習時間を短縮することはできなかった。本当にしんどかった。でも、これで大学教師として大きな壁を一つ乗り越えられたかな、とも思う。僕は海外の大学を卒業したわけでなく、学生時代に長期の海外留学経験もなく、英語で論文を書いて学会報告するようになったのも40歳になってからなので、そんなとことんドメスティックな中年のおっさんが10年間かけてここまで到達できたことは、少しくらい誇りに思ってもよいであろう。

妻も二人の子どもたちも、大病を患うこともなく、このまま2019年を終えられそうだ。来年はもう少し子どもたちと過ごす時間を増やしたい。とはいえ、年明け早々から怒涛の業務量なのである。そのことはしばし忘れて、休養に専念したい。

それでは皆さん、良いお年をお迎えください。来年もどうかよろしくお願い申し上げます。

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