Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

きしめんと古本まつり

台風一過。朝方は少しまだ雨がパラついていたが、昼前からカンカン照りに。

午前中は昨日の続きで英訳作業に励む。快調に進み、午前中で作業を終える。久々に新京極のきしめん「更科」に行き、昼食をとる。木の葉きしめんを味わう。

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もともと午後も英訳作業に充てるつもりだったが、想定外に時間ができたので、当初の予定にはなかったが、下鴨神社の納涼古本まつりに足を運ぶ。

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美学思想、現代中国思想、近代インド史に関するものを主たる獲物として狙っていたが、残念ながら収穫は乏しかった。 唯一買ったのがこれ。400円也。「医療と人口抑制」という章があったので。

明日の午後、妻子が帰洛する。10日ぶりの再会である。この上なく有意義に過ごせた、「なんちゃって独身」の一週間であった。

【6309】

亡き父が夢に

昨晩は亡き父(2003年没)が久々に夢に出てきてくれた。舞台は実家が串カツ屋をやってた時の店舗で、父も母も妹も若いのだけど、なぜか僕だけ今の僕(51歳)で、増えてきた本の置き場所として狭い店の隅っこを改造して小さな書斎を作ってくれる話をしていた。研究に理解のあるとてもやさしい父であった。でもその書斎の場所が揚げ物のフライヤーのすぐ横でむちゃくちゃ暑いという落ちまであった。おそらくお盆だからだろう。夢の中とはいえ、父と会えるなんて。

そんな夢を見ていた昨晩は台風の影響で激しい風雨となった。庭の自転車は倒れているし、門前に植えたユーカリの樹は大きく傾いているし。

今日は午前中にHETSA論文を仕上げて、英文校閲会社に投げた。午後はHETSAで配布予定の学会重鎮T先生のエッセイ*1の英訳作業に励む。妻子が京都へ戻って来るのは明後日の午後なので、それまでに何とかこの英訳作業(校閲前の下訳作成)は終えられそう。

【3119】

「経済学説史1」採点結果

こんな結果になった。ほぼ例年通りの数字である。

履修者227 / 受験者216 / 秀3 / 優14 / 良46 / 可136 / 不可17(受験者の合格率92.1%)

2018年度・2017年度・2016年度の「経済学説史1」の結果はそれぞれこのような数字だった。

履修者365 / 受験者332 / 秀15 / 優45 / 良77 / 可172 / 不可23 (受験者の合格率93.0%)

履修者324 / 受験者304 / 秀7 / 優38 / 良105 / 可142 / 不可12 (受験者の合格率96.0%)

履修者204 / 受験者195 / 秀6 / 優28 / 良59 / 可98 / 不可4 (受験者の合格率97.9%)

今年度はここ数年間では「可」の比率がいちばん高い。別の言い方をすると、優秀答案の比率がここ数年間ではいちばん低い、ということである。これは開講曜限が金4から木5に移り、実際に教室で講義を聴講している学生の比率が下がったことの反映であるように思われる。やはり数字は正直だ。

午前中はメールの返信(礼状書きを含む)。午後はHETSA報告論文の手直し。ようやく自分でも納得できるレベルのものに仕上がってくれた。やはり集中的に思考できるまとまった時間は研究者にとってこの上なく重要だ。

同業者Kさんと四条烏丸にほど近い焼とん屋「サカマル酒房」にて夕食。以前から一度行きたかったお店だが、見事に「当たり」であった。また行きたい。

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【2251】

猛暑だが大学へ

午前中は採点結果の確認&入力。午後から大学へ。自宅には研究用の書籍も機材もほとんど置いていないので、自宅での仕事にはどうしても限界がある。雑多な仕事を少しずつ進める。やはり研究室のほうが捗る。

オープンキャンパスと沖縄合同ゼミの写真・動画の整理が終わったので、関係者にファイルを送付する。

【5544】

期末試験の採点

終日、期末試験の答案(「経済学説史1」のレポート)の採点に励む。怒涛の集中的作業により全216枚を一気に採点する。さすがに疲れた。明日、不可答案の再確認をしてから点数を転記入力する予定である。

今日唯一の外出は、昼食のためにとんかつ「おくだ」@元田中へ。ポン酢で食べるみぞれとんかつがこの猛暑にマッチして超美味であった。

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【816】

HETSA報告論文の大改訂

妻子は8日に実家へ帰省したので、昨日は誰もいない家に帰って来た。世間は盆休みではあるが(大学も一斉休業中)、仕事が山積しているので、一人の時間をフル稼働させて少しでも片付けておきたい。のんびり過ごすのは妻子が京都に戻ってきてから。

今日から期末試験の採点を開始するつもりだったが(実はまったく未着手)、HETSA報告論文の改訂作業を始めたところ、そのままゾーンに入ってしまった。やはり最低5~6時間集中し続けられる環境に身を置かないと、英語論文は書けないな。持続的な思考によってしか得られない何かが脳内には確かにある。(こんな言い方はしたくないのだが、)家族がいる自宅でこの脳内状況が訪れることはまずありえない。

ほぼ終日の集中的作業により、HETSA報告論文の大規模な改訂がほぼ終わった。フルペーパー提出の締切は9/4なのでまだ時間がある。盆が明けるまで原稿を寝かせて、大学が業務を再開したら校閲に出そう。

【3500】

沖縄国際大学との合同ゼミ合宿@沖縄

18期生が沖縄国際大学IKGKゼミとの合同ゼミ合宿を敢行した。ゼミ会場は沖縄国際大学宜野湾市)、宿泊先はIKGKゼミが用意してくれた希望ヶ丘ペンション研修館(恩納村)である。2泊以上のゼミ合宿は2014年9月に13期生with日大・群女@軽井沢以来であり、ゼミ活動の一環として空路で海を渡ったのは今回が初めてである。*1

今回の合同ゼミ合宿は様々な偶然が積み重なって企画された。つい最近まで、誰一人として知り合いのいない&訪れたことのない沖縄は、僕にとってきわめて縁遠い土地だった。ところが、3年半前に院生時代からよく知っている若手の同業者IKGKさんが沖縄国際大学に就職され、マルサス学会大会の沖縄開催が計画されるにいたり(今年実現した)、心理的距離が一気に近くなった。また、京都の米軍基地(京丹後市経ヶ岬通信所)への個人的関心から、沖縄国際大学に隣接する普天間基地への興味も高まった。そんな折り、タイミングよくIKGKさんから2018年度の夏期集中講義の機会をいただき、喜んでお引き受けした。その集中講義の直前に顔ぶれが確定したばかりのnakcazawaゼミ18期生に、本当に奇妙な偶然なのだが、ゼミ史上初めてとなる沖縄県出身の学生Wさんが含まれていた。Wさんの存在が沖縄をますます身近に感じさせてくれるようになった。去年8月の沖縄国際大学での集中講義では、素晴らしい受講生に恵まれて(IKGKゼミ生が多く含まれていた)、とても充実した時間を過ごさせてもらった。「これを機会に両ゼミ間の交流を開始できないものか? きっと素晴らしい交流ができるのではないか?」 そういう思いが日に日に強くなり、半年以上の時間をかけて準備して、ようやくこのたび沖縄での合同ゼミ合宿が実現にいたったわけである。

初日の合同ゼミ本体(プレゼン→質疑応答)はたいへん活気に満ちたものになった。特に4回生のT君、3回生の中国人留学生のK君、2人の沖国生が圧倒的な存在感を示してくれた。18期生にとっては、西日本インカレのためにプレゼンをブラッシュアップするにあたって、最高のフィードバックが得られる機会となったはずである。また、沖国大のご厚意により、特別に校舎の屋上を開放していただき、広大な普天間基地を一望させてもらった。これだけでも十分に素晴らしい経験だったが、それ以上に印象深かったのは、沖国生のhospitalityの高さのおかげで、2日目以降のactivityがきわめて充実したものになったことである。台風接近による悪天候のために当初予定していたスケジュールの大幅な変更を余儀なくされたが、学生たちは機敏に対応してくれた。沖国生がわざわざ配車して、美ら海水族館やナゴパイナップルパークに連れて行ってくれた。後者(僕は行けなかった)はわがゼミ生たちに「最高!」と言わしめるスポットだったようだ。夕食のBBQの後、深夜まで仲良く語り合う両ゼミ生は、前日に初めて会ったばかりとは思えないほどであった。結果として、教員の予想をはるかに上回る素晴らしい交流ができたように思う。

帰りのフライトの欠航だけが気がかりだったが、教員が晴れ男&晴れ女だったためだろうか、ギリギリのタイミングで欠航を免れ、無事に帰阪することができた。ゼミ生と一緒にロッジに雑魚寝したこともあり、僕自身は肉体的にかなりへばってしまったが、本当に忘れがたい素晴らしい経験をさせてもらった。IKGK先生、および、IKGKゼミ生の皆さんに、心から感謝申し上げたい。また、18期生ゼミ長T君は見事なリーダーシップを発揮して同期をうまくまとめてくれた。この場を借りて彼にも深い感謝の気持ちを伝えたい。

↓18期生のプレゼンテーション
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↓沖国生からの鋭い突っ込み
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沖縄国際大学の校舎の屋上から米軍普天間基地をのぞむ18期生
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美ら海水族館
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↓両ゼミ全員で記念撮影
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↓「さよなら」がつらい
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*1:小豆島での合宿のために「海を渡った」ことは過去にあるので、それは含まず。

今年のHETSAはやることいっぱい

今年のHETSA(オーストラリア経済学史学会)は、すでに何度か書いたように、10月2-4日にシドニー大学で開催される。4年前に在外研究生活を送った思い出の地シドニー。その時以来訪れていないこともあり、今年は例年以上に参加への意欲が高まった。しかし報告すべき英語論文のストックを切らしており、新作を準備する必要に迫られた。3月に完成度のかなり低いフルペーパー(立教大で報告したもの)を送ってエントリーし、何とかアクセプトしてもらい、報告機会こそ確保できたものの、その後の改訂作業は校務の多忙さゆえ、ほぼストップしていた。このままでは質疑応答で火だるまになってしまう! やばい! 今日はその改訂作業にほぼ一日を費やした。それなりの進展はあった。

今年のHETSAではもう1つ、大事な仕事がある。日本の経済学史学会(JSHET)からただ1人HETSAの創設に関わった重鎮T先生(御年90歳)のメッセージ――昨年亡くなられたHETSAの重鎮Groenewegen先生への追悼メッセージ――を本人に代わってお届けする。T先生はJSHETとHETSAの懸け橋とも言うべき存在だ。HETSA創設時(1981年)のメンバーはオーストラリアの側でもかなり少なくなっており、再来年の40周年も意識しつつ、これを機会に両学会の絆をいっそう強めておきたい。その足しになるかもしれないと思い、T先生が1981年にお書きになったHETSA第1回大会に関するエッセイ(日本語)を英訳して、今年のHETSAで配布する計画がある。ただ、その翻訳作業も校務の多忙さゆえにかなり遅れている。

とにかく、やるべきことに比して時間が足りなさすぎるのだ。「しんどいなぁ」と思わないと言えば嘘になる。ただ、HETSAとの関わりがなければ、研究者としての今の自分は(少なくとも海外から見れば)存在しないに等しい。現時点で4本の英語論文を公刊できているのもHETSAのおかげである。2015年の在外研究ではシドニー在住のHETSAメンバーから言葉で言い尽くせないほどの素晴らしい歓待を受けた。だから、受け取るばかりではなくて、お返しをしたいのだ。その後、HETSAの役員(学会誌のeditorial board member)を任じられ、さらにJSHETでは企画交流委員長を任じられた。このタイミングでこういった役目を同時に任じられたのも、単なる人生の偶然ではなく、天が与えてくれたご縁であろう。そう思って、両学会のさらなる発展のために微力ながら努力したい。

【6069】 (久々に)腹筋6セット。

娘をオープンキャンパスに同伴させる

昨日・今日と本務校でオープンキャンパスが開催されている。両日ともわがゼミ生が経済学部GoLD(短期留学)プログラム説明会でのプレゼンを引き受けてくれたので、少なくともどちらか一日は見に行こうと思っていた。娘が少し前から「お父さんの大学に行きたい」とリクエストしていることもあり、娘を同伴させることにした。

実は娘にとっては今回が千里山デビューではない。5年前に学園祭の時に一度来ている。*1しかしまだ2歳だった本人は当然覚えていない。

12時前に到着。猛暑にもかかわらず大盛況だったのは関係者として喜ばしいことだが、学食が超満員で結局昼食はコンビニおにぎりを研究室で食べることになってしまった。研究室でしばし涼をとった後、ゼミ生のプレゼンを見に行く(&ビデオカメラを回す)。まだ小1の娘はプレゼン内容をもちろん理解しないが、ゼミ生の似顔絵を描いたりしながら、約1時間おとなしく聞いていた。研究室でおやつを食べさせて、最後にキャンパスを散策する。グラウンドの広さに歓喜の声をあげていた。約3時間の滞在が終了。15時過ぎに大学を出て、17時前に帰宅。

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【7067】