Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

今年のHETSAはやることいっぱい

今年のHETSA(オーストラリア経済学史学会)は、すでに何度か書いたように、10月2-4日にシドニー大学で開催される。4年前に在外研究生活を送った思い出の地シドニー。その時以来訪れていないこともあり、今年は例年以上に参加への意欲が高まった。しかし報告すべき英語論文のストックを切らしており、新作を準備する必要に迫られた。3月に完成度のかなり低いフルペーパー(立教大で報告したもの)を送ってエントリーし、何とかアクセプトしてもらい、報告機会こそ確保できたものの、その後の改訂作業は校務の多忙さゆえ、ほぼストップしていた。このままでは質疑応答で火だるまになってしまう! やばい! 今日はその改訂作業にほぼ一日を費やした。それなりの進展はあった。

今年のHETSAではもう1つ、大事な仕事がある。日本の経済学史学会(JSHET)からただ1人HETSAの創設に関わった重鎮T先生(御年90歳)のメッセージ――昨年亡くなられたHETSAの重鎮Groenewegen先生への追悼メッセージ――を本人に代わってお届けする。T先生はJSHETとHETSAの懸け橋とも言うべき存在だ。HETSA創設時(1981年)のメンバーはオーストラリアの側でもかなり少なくなっており、再来年の40周年も意識しつつ、これを機会に両学会の絆をいっそう強めておきたい。その足しになるかもしれないと思い、T先生が1981年にお書きになったHETSA第1回大会に関するエッセイ(日本語)を英訳して、今年のHETSAで配布する計画がある。ただ、その翻訳作業も校務の多忙さゆえにかなり遅れている。

とにかく、やるべきことに比して時間が足りなさすぎるのだ。「しんどいなぁ」と思わないと言えば嘘になる。ただ、HETSAとの関わりがなければ、研究者としての今の自分は(少なくとも海外から見れば)存在しないに等しい。現時点で4本の英語論文を公刊できているのもHETSAのおかげである。2015年の在外研究ではシドニー在住のHETSAメンバーから言葉で言い尽くせないほどの素晴らしい歓待を受けた。だから、受け取るばかりではなくて、お返しをしたいのだ。その後、HETSAの役員(学会誌のeditorial board member)を任じられ、さらにJSHETでは企画交流委員長を任じられた。このタイミングでこういった役目を同時に任じられたのも、単なる人生の偶然ではなく、天が与えてくれたご縁であろう。そう思って、両学会のさらなる発展のために微力ながら努力したい。

【6069】 (久々に)腹筋6セット。