Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

残忍なくして祝祭なし

午前中は例によって整体・・・のはずだったが、整体師のF井さんが体調を崩してダウン。整体は休診。せっかく時間を空けてクリニックに出向いたので、代わりにマッサージをお願いするが、整体にすっかり慣れてしまった身体には、どうもマッサージだけではもの足りない。来週の火曜日は午前中から会議なので、整体は再来週になる。待ちきれないかも。

大学は午後から。3・4限はメールの返事を書いたり、近日公刊予定の共和主義論文集のゲラ校正などをして過ごす。仕事の最中に3期生T屋君から吉報が入った。思わず「おお!」と歓喜の声をあげてしまった。5限は4期生K山さんと次回のゼミの報告の相談。

6限「キノハチ研究会」。ニーチェ道徳の系譜』の輪読の続き。今日から第二論文「「負い目」・「良心の疚しさ」・その他」に入った。第一論文と比べると難易度がさらにアップしており、正直なところ、僕も一度二度読んだだけではなかなか文意が頭に入ってこなかった。しかし、辛抱して何度も読み返すと、読み返すたびに新しい発見があって、知的興奮が身体を包んだ。「健忘は一つの力、強い健康の一形式」というニーチェの言葉には、大いに共感するところがあった。「生は本質的には、すなわちその根本機能においては、侵害的・圧制的・搾取的・破壊的に作用する」という一節を手がかりに「いじめ」問題を再考してみるのも面白いだろう。永井均『〈子ども〉のための哲学』(第2の問い)を読んだことのある人なら、面白さが倍増するはず。

今日は4期生O田君が報告者を務めてくれたが、ニーチェの難解な文章をほぼ正確に読み解いていた。東鴨川大学でも『道徳の系譜』をこれほどまできちんと読める学生は少ないのではないか。他ならぬ僕自身が、学部学生時代、思想史のゼミに所属していながら、ニーチェには手も足も出なかった。それを思い返せば、O田君の力量には感服せざるをえない。彼は前期(デカルト方法序説』)も「キノハチ研究会」に参加していた。やはり継続は力だね。本当に力をつけてくれたと思う。教えがいがある。*1

O田君によれば、いちばん印象に残ったニーチェの言葉は「残忍なくして祝祭なし」とのこと。いかにも彼らしい。ブログのタイトルに使えそうだね。

<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス

<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス

読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)

*1:「本を読むゼミ」と銘打ってゼミ生を募集しているにもかかわらず、読書の重要性・必要性を理解しようとしないnakcazawaゼミ生が少なからず存在している現状はまことに遺憾だ。齋藤孝『読書力』が主張するように、「本を読む・読まないは本人の自由」ではない。少なくともnakcazawaゼミ生であるかぎりそのような自由は認められない。本は「読まなければならない」ものだ。特に5期生諸君は入ゼミ時に『読書力』を読んだわけだから、このことを肝に銘じておいて欲しい。