Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

2005年度最後の日に思うこと

夕方までは読書などをしてのんびりと過ごす。

夕方から東鴨川大へ。T中先生から学位(僕の場合はいわゆる「論博」)の申請・認定のプロセスについてご説明いただく。北大和川大と段取りが微妙に違っていて、東鴨川のほうがワン・ステップ余分にある。いずれにせよ、本にして300ページ超程度の原稿を用意することが先決。書くしかない。

ひょんなことで、友人T君から人生に関する(おそらく)非常に重要なsuggestionをいただく。それがきっかけで、紛失したと思っていた昔の写真を押入れの奥に大量に発見。演劇三昧の日々を送っていた十数年前の自分自身と対面するに至る。自分が教えている学生と同じ年齢の自分。幼さが目に痛い。学生時代の僕はスマートさのかけらもなく、ドタバタと、無様にもがいていた。辛く悲しい別れも少なからずあった。けれども、そんな不恰好なかつての自分に対して、今の僕は懐かしさばかりでなく奇妙な愛しさをも覚えるのだ。

「旅の恥はかき捨て」と言うし、人生はa long journeyになぞらえられるから、人生の本質・意味はその人がかいてきた恥に隠されている、と言えるのではないか。そして、そのT君のsuggestionの核心は、かいたところで失うものがないのなら(得るもののほうが大きいなら)臆することなく恥をかくべきだ、というもの。これは博士論文をどうするかという問題にとどまらず、人生のすべての問題について言える。

「する/しない」「動く/動かない」で迷った時、僕は基本的に前者を選んできた。学生時代は特に。醜態をさらしながら多くの物事を学んできた。醜態をさらさないと物事は学べない、ということを学んできた。しかし齢を重ねるごとに少しずつ臆病になりつつある自分がいる。そんなに大した人間でもないくせに、プライドだけが少しずつ肥大化しているからだろう。それは大学の教師などになってしまったから?でもそういう輩を学生時代の自分はいちばん嫌っていたのではないか?そういう輩には決してなるまいと心に誓ってこの道を志したのではなかったか?

原点回帰。スマートさのかけらもないドタバタした人生のほうが自分には似合っている。*1明日から2006年度がついに始まる。こんな日だからこそ、彼の言葉が無性に身にしみる。いい友人を持てて良かった。

新しい一年。昨年度以上にもがいて、無様な自分をさらしたい。結果はおのずとついてくる(はず)。

*1:高校の卒業文集に「東鴨川大学現役合格架空体験記」なるものをうれしがって書いてしまったが、結局落ちて浪人した。本当に昔からバカ丸出しである。