経済学部スタッフによる夏季研究大会に出席する予定だったが、家庭の事情により欠席。自宅待機を余儀なくされる。
小林昇『国富論体系の成立』を約9年ぶりに再読する。*11973年の公刊から34年もの歳月が流れているが、内容はまったく古びていない。いまだに「!」連発である。自分の思考の貧弱さを思い知らされるとともに、昔の学者の勉強量の凄まじさに恐れ入るばかりだ。
*1:「1998年4月17日読了」の書き込みが残っている。僕が現在の勤務先に「経済学説史」担当の専任講師として着任したのが1998年4月だから、まさしく大学教員になりたてのほやほやの時期に本書を手に取っていたわけだ。「果たして二十数回にわたる経済学説史の講義をこなせるのか?」と不安いっぱいの時期だったように思う。その不安の大きさゆえに本書を手に取っていたのだろう。『国富論』を自信をもって講義できないようでは経済学説史の講義にならないから。あれから9年以上の歳月が流れた。いまだに『国富論』にどっぷり浸かっている自分がいる。読むたびに新しい発見がある。これぞ古典。原点回帰どころではない。原点からほとんど動いていない。