こんなプログラムです。
日本イギリス哲学会第39回関西部会例会
日時 : 2008年12月6日(土曜) 13時30分〜17時35分
場所 : 京都大学法経東館201号室
- 報告1 13:30−14:45(討論を含む)
報告者 藤川直也(京都大学大学院文学研究科博士後期課程/日本学術振興会特別研究員DC)
題目「固有名を用いたコミュニケーション」
- 報告2 14:55−16:10(討論を含む)
報告者 木宮正裕(京都大学大学院経済学研究科博士後期課程)
題目「公平な観察者は国際間で可能か―堂目卓生『アダム・スミス』の検討―」
- 報告3 16:20−17:35(討論を含む)
報告者 nakcazawa
題目「エドマンド・バークのポリティカル・エコノミー」
nakcazawa報告の要旨(会員への案内状に掲載される)は以下の通り。これが「本職」です。
エドマンド・バーク(Edmund Burke, 1729/30-97)は、最晩年の著作『ある貴族への手紙』(1796)において、自らの長年にわたるポリティカル・エコノミー(政治経済学)の研究を「不滅の業績」と自画自賛し、「エコノミスト」たることを誇っている。それにもかかわらず、彼は市場の諸法則を主題とした著作を残していない。大半のバーク研究者がこの重大な事実を見落としてきた。むしろ、バークはポリティカル・エコノミーという言葉を市場の諸法則を研究する学問領域という意味で用いていなかった、と考えるほうが妥当ではないか?
本報告では、このような問題意識を背景として、バークのポリティカル・エコノミーの基本構造を明らかにすることを目指す。報告は以下の手順で行われる。最初に、彼の政治学の最重要概念の一つである「慎慮(prudence)」に注目して、慎慮の徳についてのバークの見解を整理する。次いで、慎慮の徳が彼のポリティカル・エコノミーにおいて占める位置を確認することを通じて、彼のポリティカル・エコノミー観とエコノミスト観を再構成する。
以上の考察をふまえて本報告が提出する暫定的な結論は以下である。バークにとってポリティカル・エコノミーという学問領域は、その中核部分に「国家に関するバランス(収支・釣り合い)の賢明な管理運営」の学としての財政学が据えられ、それを大ブリテンとその帝国の諸利害をめぐる政策の分析が取り囲む、という基本構造を呈している。その究極の目的は、慎慮の徳に基づいて国家に関する収支の賢明な管理を行い、統治から腐敗(恣意的な権力)を取り除くことによって、公共の利益(公共善)を達成することにある。レッセ・フェール(自由放任)という一般的通則は、腐敗の除去というより高次の目的を達成するための一つの指針にすぎない。彼のポリティカル・エコノミーが市場の諸法則に関する原理的な考察をその領域内にまったく含まないわけではないけれども、それらは大ブリテンとその帝国の諸利害をめぐる政策との関連において考察されるにすぎず、ポリティカル・エコノミーという領域のかなり外側(周縁)に位置している。したがって、彼が穀物取引と労働市場のレッセ・フェールを主張したことも、市場の正義の絶対性を一面的に唱道したものとして受け取られてはならない。慎慮に基づいて、つまり、便宜や裁量に基づいて、そうした一般的通則には例外や修正が認められうるのである。
なお、本報告は、日本イギリス哲学会第24回全国大会シンポジウム「エドマンド・バーク」での報告「バークとマルサス―脱ラピュータ島のポリティカル・エコノミー―」(於関西学院大学、2000年3月26日)に大幅な改訂をほどこしたものである。