Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

中国語学習への思い

帰宅後、「テレビで中国語」を2回分(録画)観る。いやぁ、忘れてる。超基本的な表現なのに。情けないくらいに忘れている。でも、かすかに記憶に残っていて、その記憶をたどることが今はとても楽しかったりする。

认识你很高兴
renshi ni hen gaoxing
お知り合いになれてうれしいです。

僕が中国語と出会ったのは小学校6年生の秋。ラジオからたまたま聞こえてきた美しくリズミカルな響きに魅せられて、中国語講座(初級編)を聴き始めてしまった。28年も前のことなので記憶が曖昧だが、講師は傳田なんとかといった名前の方だったと思う。2, 3か月しか続けられなかったが、「我叫・・・」「・・・到了」「我饿了」といった表現はその時に覚えてしまった。これだけ知っていても何の役にもたたないのだが、その時に抱いた親近感が、中国語を僕にとって特別な言語にしてしまった。「できない」くせに「好き」になったのである。

中学・高校時代は中国語と縁がなかった。大学(学部)では第二外国語にロシア語を選び、ロシア語講読の授業を経済学部と文学部の両方で履修した(それくらい頑張ったがモノにならなかった)が、東アジア経済史のH先生のゼミに入ったことをきっかけに、中国語を第三外国語として本格的に学び始めた。大学院Hゼミへの参加条件として、中国語か韓国語で原資料を読めることが挙げられていたため、大学院へ進学することを考え始めていた僕は、前もってどちらかの言語を学んでおくほうが良いだろうと思い、何とも言えない親近感から中国語を選んだわけだ。

当時のラジオ中国語講座(初級編)の講師は西川優子先生。この先生の教え方は感動的なまでにうまかった。半年で1セットの講座だが、再放送も含めてしっかりと2セット学んだ。これで十分な基礎を身につけた。驚くことに、辞書の助けを借りれば中国語で書かれた経済論文を何とか読めるレベルには到達していた。

大学院Hゼミでは台湾の中小企業に関する文献を報告したことが記憶に残っている。D1かD2だったと思う。その頃になると、主専攻のイギリス経済思想史の研究のほうに時間とエネルギーを奪われ、副専攻の東アジア経済史(および中国語)の勉強は断念せざるをえなくなった。そんな時間があれば、イギリス経済思想史の研究と英語の勉強に回さなければならない状況に直面していた(就職がかかっていたので)。しかし、中国の歴史は昔から大好きなので、「経済史でないにしろ*1、いつか中国研究に復帰したい」という思いを胸の奥に秘めた。その思いは13, 4年の歳月を経ても消えなかったようだ。それくらい好きだったようだ。

中国語の勉強を再開してまだ3週間ほど。先は長いけれども、新しい夢へと一歩一歩近づいている。一日も早く馬寅初のテキストを自由に読めるよう頑張りたい。

この本を久しぶりに読み直してみたい。大昔に読んだ時、「小さな本なのにすごくまとまっているなぁ」と感心した記憶がある。今はまだ基本事項の徹底理解が先決な段階だ。

はじめての中国語 (講談社現代新書)

はじめての中国語 (講談社現代新書)

フランス語のほうは早くも危機的状況。またもや挫折?

*1:実は自分にはあまり向いていないと思っている。