Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

大きな目標に向かって今度こそ中断せず継続的な勉強を

大学には行かず、自宅で語学の勉強に励む。『ドイツ語はじめの一歩』を153ページまで(全235ページ)読み進めた後、「次は何を勉強しようか。ロシア語かな」と思案したが、「今日はまとまった勉強時間が取れる貴重な日だから、中国語の勉強を再開させるのはうってつけではないか」と思い至り、近くにあった池田巧『中国語のしくみ《新版》 (言葉のしくみ)』にふと手を伸ばし、そのまま全146ページを一気に読み終えてしまった。(読み終えた時にはさすがに日付が変わってしまっていたので、8-9時間くらい読み続けていたことになるが。)

このブログでも何度も書いてきたように思うが、中国語は僕が学生時代に第三外国語として学んだ言語である。堀和生先生の大学院ゼミの参加要件が、中国語or韓国語文献の読解能力だったので、1992年くらいからNHKのラジオ講座で学び始めた。*1西川優子・陳真・相原茂といった素晴らしい講師に恵まれ、自分の肌にも合っていた気もして(中国語の音の響きは昔も今も大好きである)、独学の苦労はなかった(ただただ楽しかった)ものの、博士課程に進学してから自分の専門分野(イギリス経済思想史)で研究業績を残すことを優先せざるをえなくなり、結局3年ほどで中断せざるをえなくなった。とはいえ、「いつか中国語をしっかり学びたい」という気持ちは消え失せず、単著(学位論文)を2009年2月に公刊してそれまでの研究に一区切りつけることができたので、2009-2010年にNHKの「テレビで中国語」で勉強を再開させた。ところが、副学部長の職(2010年10月~2012年9月)に就いたことで、またまた勉強する時間がなくなった上、副学部長職を終えた直後の2012年10月に娘が生まれ、今度は父親業との兼ね合いで、追加的な勉強をする時間的余裕を作れなかった。それ以降も、バーク・プロジェクトが一段落した2017年5月に中国語の勉強を再開させようとした形跡が(日記を見るかぎり)あるのだが、どうやらすぐさま頓挫したようだ。研究推進部副部長の職(2016年9月~2020年9月)との兼ね合いが難しかったからであろう。

2020年初頭にコロナ禍が襲来し、他者との接触が極端に減り、独りで過ごす時間が増えたことに乗じて、ロシア語と中国語の勉強の本格再開を目論んだ。だが、二言語を同時進行で勉強しようとすると、語彙力の点で劣るロシア語のほうからどうしても逃げがちになってしまうため、2021年2月に中国語の勉強のほうをいったんストップさせ、一定の学力(特に語彙力)に到達するまでロシア語の勉強に専念することにした。しんどく感じるもののほうにこそ、多くの時間をかけなければならないからだ。そうすると、ロシア語がある程度目途のついた次の段階で取り組むべきは、学生時代にある程度しっかり勉強した中国語よりも、付焼刃的な勉強しかしなかった(=ほとんど忘れてしまっている)ドイツ語(第四外国語)のほうだということになる。半ば苦行的意味合いも持たせて、昨年8月からドイツ語の勉強を再開し、今年4月からロシア語と同時進行で勉強するようになったが、ロシア語と中国語の時のようにどちらか一方に偏ることなく、バランスよく勉強を続けられている。そうこうするうちに、「ようやく自分の勉強ペースが確立できた。もう途中で挫折することはないはず」という自信も湧き上がってきた。

そんなわけで、今日、待ちに待った中国語の勉強の本格再開にいたった次第である。今度こそロシア語・中国語・ドイツ語のバランス、そして、語彙・文法・会話(音声)のバランスのとれた勉強をぜひとも継続させたい。「ロバート・サウジー→マルクス&エンゲルス→チェルヌイシェフスキー&レーニン→孫文&毛沢東」というマルサス人口論の(批判的)受容の国際的展開を歴史的に検証するためには、どうしても三言語ともある程度使いこなせることが必要なので。この研究テーマこそ、定年退職まで残り15年を切ってしまった僕の、経済学史研究者としてのライフワークとなりうるはずのものである。

「ローマは一日にして成らず」を信じて。

【123】

*1:第二外国語はもちろんロシア語。第四外国語のドイツ語は、大学院進学後に正木八郎先生・中村健吾先生の授業を履修するのに必要だったため、半ば義務的に突貫工事で勉強した。中国語ほど楽しくなかった(苦笑)。