朝食後、娘をピックアップするために実家へ。気管支炎の薬が今日で切れるため、明日小児科(日赤)で診てもらわねばならないからだ。ところが10時過ぎ、実家へ向かう電車の中で、義母からの電話を受け取る。何と妻の体調が急変し、予定日より一か月近くも早く、子どもが生まれてしまったとのこと(10時47分)。これには僕もびっくり。とはいえ、発育はすでに十分すぎるほどで、2860gの元気な男の子。娘(姉)とは5学年差の予定だったのに、蓋を開けてみたら、4学年差になってしまった。
一分一秒でも早く息子の顔を見たいが、娘の気管支炎が完治していないため、妻が入院する産婦人科には娘を連れて入らせてもらえない。今は義母が妻に付き添っている以上、大急ぎで京都へ戻っても、自宅から動きようがないため、今日の面会は諦める。その代わりに、我慢の毎日を送ってくれた娘を喜ばせるべく、実家の近くの河川敷で、娘、母、妹と土筆取りに興じる。娘の体調を考えて20分くらいで終わりにしたが、それでも収穫は大きかった。京都の自宅へ持ち帰ることにする(明日にでも炒め物にして食べる予定)。
16時半自宅到着。帰ってくると、母から聞いていた実家での様子とまったく違うふるまい(≒甘えまくり)をする娘。やっぱり実家では彼女なりに相当に気を遣って過ごしていたのだな。その健気さにほろりとする。
長い一日だった。とにかく今は、長男が無事に生まれて来てくれて、安堵感でいっぱいだ。3日前に「3月中に生まれる可能性はきわめて低い」と聞いていたが、念のために義母に予定を繰り上げて昨日来てもらった。何とも奇跡的なタイミングであった。予定日よりも一か月ほど前だったにもかかわらず、大事をとって日本イギリス哲学会研究大会(27・28日、於南山大学)の個人研究報告の司会を辞退させてもらったが、この判断も結果的に正しかった。
長男があまりにも早く生まれてきたために、自宅では彼を迎えるための準備がほとんど手付かず。明日は猛烈に忙しい一日になりそうだが、これは嬉しい悲鳴だ。*1