Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

イナズマンF / 息子の鉄棒

わが家は有料の東映チャンネル(CS)を契約している。そこでここ半年ほど「イナズマン」が放送されており、毎回欠かさず録画・視聴していた。「イナズマン」の本放送は1973-4年放送で、当時5-6歳だった僕の記憶はかなりおぼろげで断片的だが、かなり熱心に見ていたことは確かで、後半のフラッシュ編(イナズマンF)のほうに強く惹かれていた記憶がある。主人公渡五郎の相棒荒井がサイボーグであることを五郎に告白するシーンや、デスパー軍団が建造した実験都市デスパーシティー(5万人の人間を閉じ込め、市民をサイボーグに改造して圧政を敷いている)のシーン(とBGM)は、特に鮮明な記憶があった。ウデスパーは敵幹部としてとてもかっこよかった。その記憶を47年ぶりに自分で確かめられるということで、毎回の放送が楽しみでならなかった。昨日の深夜、最終回(全48話)を見終わったわけだが、デスパーシティーの登場シーンは思っていたよりもはるかに少なくて、なぜこの短い登場シーンが5-6歳の自分にかくも強烈な記憶を残したのか、不思議でならなかった。同じ石ノ森章太郎原作ではあるが、同時期に放送していた仮面ライダーシリーズと比べると、やはり作りが粗く、特に脚本の完成度が低い気がした。最終回(デスパー軍団の滅亡)へと至る話の流れも早急で唐突な感じがあった。Wikipediaによれば、原作者の石ノ森が「後年のインタビューで本作について「早すぎた」と述べており、放送当時の特撮技術では超能力を表現するのに不十分であったとする旨を語っている」とのことで、確かにそういう事情もあったのかもしれない。Fは五郎と荒井が二人だけでデスパー軍団に立ち向かうハードボイルドな作りで、イナズマンの登場シーンも少なく、まったく子ども向け番組でなかった気がするが、それでも5-6歳の僕に強烈な記憶を残し「ぜひもう一度見たい」と思わせ続けたわけで、もしかしたら僕が自分の人生で「物語」なるものに目覚めた最初の機会だったかもしれない。53歳の今の目で見ても、F編のほうがイナズマン編よりはるかに魅力的であった。

本日わが家は男側(僕と息子)と女側(妻と娘)とに分かれて行動。午前中は息子を近所の吉田河原公園を連れて行った。息子が唐突に鉄棒を始め、「できた!」と歓喜の声をあげる。何が起こったのかと思いきや、何と前回りが初めてできたのだと。二度目はさすがに動画撮影し、妻に送った。息子は午後になってさらに2回もその公園へ行き、見事な前回りを披露した。よほどうれしかったのだろうな。

子どもたちの就寝後、U村先生退職記念号論文の執筆に必要な英文資料を読み進める。

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