Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

Hedwig and the Angry Inch

雨天。自宅で仕事。昨日に引き続き「存在の連鎖」論文の改訂作業。

雨が小降りになってきた15時頃に外出。四条河原町高島屋でセカンドバッグとネクタイ2本*1を買う。この種の買い物はめったにしないのだが、明日教え子の結婚式に招待されていることもあって奮発する。ついでに行きつけの理髪店で髪を切ってもらう。

夕食後、DVDで「Hedwig and the Angry Inch」を観る。性転換手術の失敗(股間の「怒りの1インチ」)に苦悩するロック・シンガーの波瀾の半生を描いたロック・ミュージカル映画。東西冷戦時代の東ベルリン出身である主人公ヘドウィグは、冷戦終結後も我々の心の中にいまだに堅固に残っている「ベルリンの壁」(性や思想への偏見)の象徴である。だからこそこの映画は「私は新しいベルリンの壁」というヘドウィグのシャウトから始まる。

原案がプラトンの名作『饗宴』から取られているのは有名な話。挿入歌の一つ「Origin of Love」の歌詞は、『饗宴』のアリストファネス演説そのものだし、ヘドウィグがロック・スターを夢見る少年トミーにロックのいろはを教え込んでいるシーンなどは、『饗宴』における愛者と美少年のあり方そのものだ。二人は協力して数々の名曲を創作してゆく。名曲は時代を超えて生き残る。不朽である。「愛は創造、創造は愛」というこの映画のメイン・メッセージは、『饗宴』の思想的核心――「愛の目指すものは、美しい者の中に生殖し生産すること」「愛の目的は不死」*2――を突いている。

そういう意味で哲学的な空気が濃密な映画だが、音楽だけでも、あるいはヘドウィグ役のジョン・キャメロン・ミッチェル*3の怪演だけでも十分に楽しめる。僕の評価は★★★★★である。6月20日の「キノ研」でゼミ生と一緒に再度観る予定。

DISC-2(特典映像)の中に「ジョン・キャメロン・ミッチェル監督来日時映像」が含まれているのだが、その時のインタビューの日本語字幕に明らかにおかしい箇所がある。「実はキャラクターとかこのストーリーが存在する前に、あるシンポジウムで聞いたプラトンの神話が僕の頭の中にありました」と字幕が出るのだけれど、監督は「... I had a myth from Plato ... from his symposium.」って言っているようだ。少なくとも僕の耳にはそう聞こえた。そうだとすれば、監督は普通名詞の「シンポジウム(symposium)」ではなくて、プラトンの著作『饗宴/シュンポシオン(Symposium)』のことを言っているはずだ。「プラトン『饗宴』の神話が僕の頭の中にありました」と訳すべきだろう。

翻訳という仕事の最大の困難はこのような教養上の障壁にある。僕が翻訳に関与したディキンスン『自由と所有』がまもなく市場に出る。(特に聖書関連で)思いもしない初歩的な誤訳を犯しているではないかと戦々恐々している。

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

寝る前の10分に簡単ダンベル体操→◎(2セット) 僕が世界で最も敬愛するバンドはRUSHだが、彼らは別格的存在で、その次に挙げるべきバンドがDREAM THEATERだ。そのDTの最新作がこれ。超絶技巧を駆使しているのにポップ。完成度が高く、聞き飽きない。変拍子が多いので、ダンベル体操のBGMには不向きかもしれないが、自分に「喝」は入れられる。

オクタヴァリウム

オクタヴァリウム

*1:どちらもTAKEO KIKUCHI。数少ない僕のお気に入りブランド。

*2:岩波文庫『饗宴』117ページ

*3:監督・脚本も兼ねる。