Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

UK HET @ Manchester Metropolitan University

Chetham’s Library


第47回英国経済学史会議(The 47th Annual UK History of Economic Thought Conference, UK HET)*1に出席するため、8月31日から9月8日までマンチェスターに出張した(8日早朝帰豪)。イギリスを訪れるのは3年半ぶりだが、その時に訪れたのはスコットランドエディンバラだったので、イングランドを訪れるのはロンドン&オックスフォード出張(2004年9月)以来11年ぶりになる。ずいぶん久しぶりだ。しかもマンチェスターを訪れるのは今回が初めてである。

シドニーでの在外研究をスタートさせた時点(5月)で、今回のマンチェスター出張の予定はなかった。だが、シドニーで英語論文を書き進めるうちに、在外研究の総仕上げとして国際学会で一度くらい報告しておく必要を次第に強く感じるようになった。UK HETは時期的にべストだったが、いかんせんオーストラリアからイギリスは恐ろしく遠い。しかも、これまで一度も参加したことがなく、どんな学会なのか勝手がわからない。しかし、イギリス経済学史の研究者として、本丸とも呼ぶべきイギリスの学会にそろそろ乗り込んで自分の研究に対する反応・評価を知りたいと思い始めていた。今年は日程的に参加可能だが、来年以降は校務の都合で参加できないかもしれない。また、今年の会場校のManchester Metropolitan Universityには旧知のJohn Vint先生がおられるから、研究交流の輪を広げやすそうだ。そんなわけで、長距離・長時間フライトへの嫌悪を引きずりつつも、参加&研究発表を決断した。

シドニー空港〜マンチェスター空港は27時間(乗り換え2回:シンガポールヘルシンキ)で、シドニーの下宿〜マンチェスターのホテルだと30時間超かかる。オーストラリアからヨーロッパは本当に遠い。出張期間は実質8日間だが、そのうち4日間が移動でつぶれてしまい、マンチェスターで過ごせたのは正味4日間である。想像していた以上の長旅で、体へのダメージも巨大だった。本当に疲れた。もう二度と嫌だ。

シドニーシンガポールはQantas、シンガポールヘルシンキマンチェスターはFinnairを利用した。どちらも初めて利用した航空会社だが、Qantasは座席も比較的広く、機内食もおいしく、かなり満足できた。他方、Finnairの座席はQantasと比べると前後も左右も狭く、圧迫感が半端でなかった。長時間のフライトなので、スリッパを用意し、通路側の席をとって頻繁に歩く(トイレへ行く)など、足・脚にかかる負担をできるだけ減らすよう試みたが、それでも足・脚の違和感は相当なものだった。

ヘルシンキ・ヴァンター空港を利用するのは今回が初めて。着陸直前に機外を見下ろすと、「森と湖の国」フィンランドと呼ばれるだけあって、たくさんの湖が目に入った。空港それ自体はとても使いやすい空港だった。

そして、ようやくマンチェスターに到着。マンチェスター産業革命の発祥の地(綿織物工業)として歴史的に有名だが、今日ではサッカー(マンチェスター・ユナイテッド)のほうで有名であろう。これはマンチェスターの中央駅にあたるピカデリー駅。

街の景観の随所に、古いものと新しいものとを共存させていこうという意思が読みとれる。

ジョン・ブライトとともに穀物法廃止(自由貿易主張)の運動を指導したリチャード・コブデンの銅像。彼らのグループはマンチェスター派とも言われた。

こちらはブライトの銅像

市内にはLRTのネットワークが張り巡らされており、そのネットワークは現在も拡張中である。

古代ローマ帝国時代の遺跡。

会場校Manchester Metropolitan Universityとキャンパスが隣接するThe University of Manchesterは1824年創設された歴史ある大学。

今自分がオーストラリアで暮らしているせいか、ことあるごとに日豪比較をしてしまった。食事全般は豪の勝利だが、英の食事は昔と比べるとかなりおいしくなっており、善戦していた。コーヒーは豪の圧勝だが、ビール(Ale)は英の圧勝だろうか。ネットの接続の速さも英の圧勝。

これは会場校Manchester Metropolitan Universityの写真。天気が悪いことで有名なイギリスだが、今回の出張中の本格的な降雨は一度だけで、しかもそれは学会の開始後に降り始め終了前に止んだので、傘を使う機会はなかった。ラッキーだった。9月上旬にしてはかなり低い気温だったが、僕は冬のシドニーから来たので、むしろちょうど良いくらいで、気持ち良く過ごせた。

これは研究発表中の写真。UK HETの一人当たり持ち時間は45分で、HETSAの25分よりかなり長い。持ちこたえられるか不安だったが、シドニーでの練習の甲斐あって、プレゼン・質疑ともに無事に乗り切ることができた。国際学会・シンポジウムでの発表は今回で10回目になるが、これまででいちばん良いできだったように思う。場数を重ねてきたから45分間を持ちこたえられた。これが1回目、2回目だったら、そもそも45分も集中力が続かなかっただろう。

イギリス人の学会メンバーでは(シドニーのTony Aspromourgosさんと親しい)Richard Van Den Bergさんの知遇を得られた。*2とても聡明なお方で、すべての報告に積極的にコメントし、僕の報告に対しても熱心にコメントしてくださった。とてもありがたかった。報告終了後、学会のエクスカーションの時にもたくさんお話しできた。彼との出会いが今回の学会参加における最大の収穫かもしれない。

ただ、ここでも日豪比較をしてしまうが、英国経済学史学会(The History of Economic Thought Society, THETS)の活動自体は、豪州経済学史学会(HETSA)と比べると、いくぶん低調に感じられた。大会への参加者数は30名弱で、豪より少なく、また報告や議論の質も豪に勝っていないように思われた。Donald Winchといった著名な研究者の姿も残念ながら見えなかった。

学会のエクスカーションでChetham's Libraryなる所へ出かけた。ここは若きマルクスエンゲルスがともに勉強した図書館で、彼らが使っていた閲覧室や読んだ本が現在も当時のままで残されている。このエントリーの右上の写真はその閲覧室で撮ったもの。僕が手に持っているのは、彼らが実際に読んだウィリアム・ペティ『政治算術』である。

今回の学会は、蓋を開けてみたら、日本人の参加者が僕を含めて8名(報告者5名)もおり、おかげでずいぶんとリラックスできた。特に、過去にマンチェスターで在外研究を送られた関係で、人一倍マンチェスター愛にあふれ、土地勘もばっちりなF本さん(大阪楽飲大)の存在は心強かった。F本さんは日本でお会いする時よりも何倍も快活に見えて、「やはり在外研究の日々を過ごした街というのはhometownになるのだな」と強く印象づけられた。実際、僕自身も復路で、長時間のフライトを終えてシドニー空港に到着した時、「やっと帰ってきた!」という大きな安心感が内から湧いて来た。

マンチェスターでは時差ぼけに苦しめられたが、シドニーに戻ってからも時差ぼけに苦しめられている。やはり東西の長距離移動は苦手だ。今は在外研究中だからよいものの、普通であれば日本への帰国後すぐに出勤しなければならない。時差ぼけでとても仕事にならないように思う。

今やhometownとなったシドニーでの生活もいよいよ残り2週間である。なお、これまで酷使に耐えてきたデジカメが9月3日に成仏してしまった。マンチェスターに到着した9月1日にズームの動きが不安定になり、それからわずか2日間で逝ってしまった。今後、帰国までのブログの更新で、写真をアップするのは難しい。どうかご了解を。