Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

ゼミについて

ゼミについて書きたくなった。

落ちこぼれ経済学部生だった僕が学ぶことを喜びを知ったのはT先生のゼミにおいてなので、教員になってからも、ゼミには格別のこだわり・思い入れを持っている。もし勤務先の大学でゼミ形式の授業が開講されていなければ、いわゆる「ただ働き」になっても、自主ゼミを開講していただろう。

先輩も後輩もいない孤高の(+右も左もわからない指導教員に翻弄された)1期生。*1

在外研究中だったために事前に僕を知る者がほとんどおらず、メールのやりとりで入ゼミ選考をした2期生。*2

社会人が多く年齢構成もバラエティに富んでいた2部ゼミ生。*3

それらと比べると、3*4・4*5・5期生*6の入ゼミの初期条件はほとんど同じと言ってよい。ホームページ、オフィスアワー、公開ゼミなどによる情報提供。現役ゼミ生による面接の実施。選抜されたメンバーはみな20歳前後で、社会人は混じっていない。僕自身の指導方針も基本的に同じだ。それなのに3学年ともまったくクラスのカラーが違う。もちろん5期生のカラーはまだ定まっていないが、今日のゼミを見るかぎり、3期生とも4期生ともまったく違うカラーになりそうな気配がする。どうしてこんなに違ってしまうのか、不思議でならないし、それがゼミの面白さとも言える。子が親の鏡なら、ゼミ生は指導教員の鏡? だとしたら僕自身の変化の反映なのか? 自分ではよくわからないけれど。

ゼミ指導の醍醐味は、一方通行ではなく、interfaceの関係を学生と結べることだ。もちろん嬉しいことばかりではない。背負いたくないものを背負わされてしまうことも多い。在学中とことん振り回しておいて、卒業してから一度も愛想なしのゼミ生もかなりいる。何だか「使い捨てXX」みたいで、寂しくないと言えば嘘になるが、先日、幼なじみとの18年ぶりの再会もあったことだし、10年、20年という長いスパンでつきあいを考えたいと思っている。むしろ、お互いに齢を重ねて、経験の差が縮まってからのほうが、大人同士のいいつきあいができる気がする。「教える・教えられる」関係と違って「互いに学びあう」関係なら権力性は消滅するはず。そんな人間らしい関係を長い時間をかけて作ってゆきたい。卒業後の時間も含めて。

以上、最近ゼミについて思うこと。

*1:1999.10-2002.3

*2:2003.4-2005.3

*3:2003.4-2005.3

*4:2003.10-

*5:2004.9-

*6:2005.9-