Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

Pullen先生のお宅に招待される(シドニー104日目)

たいへん光栄なことに、John Pullen先生がEarlwoodのご自宅へ招いてくださった。しかも、わが下宿からだと交通アクセスが悪いことを気遣って、わざわざ車で迎えに来てくださった。

Pullen先生のご自宅はたいへん大きく、立派で、美しいお宅だった。奥様のAnneさんはとても知的でフレンドリーでかわいらしいお方だった。

ご夫妻はピクニックがお好きらしく、お誘いを受けた。もちろん、二つ返事で首肯したが、ところが"disaster"(Anneさんの言葉)発生。昼食を買い出す予定だったお店が金曜日であるにもかかわらず臨時休業。そこで予定を変更して、ボタニー湾をドライブしながら、シーフードが自慢のレストランで昼食をとった。

Pullen先生のご自宅に戻った後、しばし歓談する。これまで大勢の日本人研究者と交流されており、僕と共通の知人が多く、話も弾んだ。久保芳和先生(故人)、田中敏弘先生、橋本比登志先生、八木紀一郎先生、中矢俊博先生、池田幸弘先生、堂目卓生先生らの名前があがった。

その時の会話でいちばん印象深かったのが、最近(2013&2014年)書いて投稿した論文二本がジャーナルでリジェクトされたことを悔しそうに話しておられた姿。「自信作だったから、さすがにupsetした。レフェリーのコメントにも納得できなかった」と。「これだけの大先生でもそうなんだ」と驚くとともに、逆に言えば、大先生でもそういう目にあるということは査読システムが健全公正に(依怙贔屓なしで)機能していることの証拠とも言えそうだ。

Pullen先生は定年退職後も特任としてUniversity of New Englandで講義を続けておられたようだが、昨年2014年を最後にそれを終えられたとか。1974年から2014年まで40年間講義したよ、とおっしゃられていた。

研究に必要な膨大な量の資料をどんなふうに整理しているのかを尋ねたところ、分類して番号を振ってポリケースに入れて物置に保管しているとのこと。こんな感じで整理されていた(ポリケースは40近くある)。近い将来この物置を書斎へ改造する計画らしい。

招いてくださったお礼にちょっと高級なウイスキーをプレゼントした。

Redfernまで送っていただき、そのままRedfern会へ参加。今宵はMatthewもTonyも姿がなく、参加者は僕以外にDavid Kimさん、Tim Fisherさん、Michael Patonさんら5名。Davidと9月18日の講義(ゲスト・スピーカー)の打ち合わせができて、ちょうど良かった。

今日は8時間以上ぶっ通しで英語を聞き、そして話した。聞くだけであれば学会で経験しているが、これだけたくさんの量の英語を一日のうちで話したことは、これまでの人生で一度もなかったように思う。話す際に適切な単語が瞬時に出てこないのは相変わらずだが*1、リスニングのほうはだいぶましになってきた気がする。もうワンランク上達させて、UK HETでの質疑応答をうまくこなしたいものだ。

*1:Pullen先生から羽田と成田の関係を尋ねられて、説明している最中、「滑走路」という単語が出て来なくて困った。調べたら"runway"と言うらしい。会話を中断させられないので、"running road"といった適当な単語でごまかさざるをえなかった。いちばん困ったのが、家族のことを話していて、「親孝行」の英語表現が最後まで出てこなかったこと。「父親を早く亡くして、親孝行したくてもできないので、父の分、妻のお母さんを大切にしたいと思ってます」的な殊勝なことを言おうとしたのだが、完全に脳みそがフリーズしてしまった。