Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

はやる気持ちを抑えて(シドニー112日目)

今日の昼食


土曜日だが研究室へ。終日、英語論文(ケインズ&マルサス論)の改訂作業に専心する。

昨日Rodさんから頂戴したコメントの一つ一つに対して、改訂作業を進めていく。自分でも言いたいことが何となくもやもやしていて気持ちの悪かった文章について、「君が言いたいのは・・・か、それとも・・・か、どちらなのか?」というふうに的確に指摘してくださったので、作業中、頭の中の霧が晴れていくような気持ち良さを感じる。

今日の作業を経て、論文はほぼ完成形に到達したように思う。こうなると「さっさとジャーナルに投稿して(投稿先はもう決めている)一日も早く結果が知りたい、この仕事から解放されたい」というふうに急いてしまうのが僕の悪い癖だ。はやる気持ちを抑えなければ。この論文を9月2日にマンチェスターで開催される英国経済学史学会(UK HET)で報告する。まだ報告用パワーポイントを作っていない。当然、報告の予行演習もまだ。そちらが先だ。報告準備の過程でまた何か新しい発見があるかもしれない。

今回の在外研究で得られたものは巨大だが、やはり具体的な結果が欲しい。いちばん欲しい結果は、海外ジャーナル論文を投稿して採用されることだ。日本人が英語で論文を書くことについては、親しい友人研究者の間でも様々な意見がある。僕は英語で書くか日本語で書くかの二者択一論にくみするつもりはないし、これからも両方の言語での論文執筆をバランスをとりながら続けていくつもりだ。たしかに英語で書くのは不自由だ。まず、時間がかかる。また、語学力の制約のために細かいニュアンスがわからず、論理がむき出しの、何とも素っ気ない、ぎこちない文章になる。論理がむき出しになると言っても、これまた語学力の制約のために論理構成を複雑化できず、きわめてシンプルな論理とならざるをえない。日本語で伝えたい内容の半分すらも伝えられない。それでも、英語で書こうとするのは、自分の研究成果を世界中の読者に広く知ってもらえることがこの上なく嬉しいからだ。二本目の英語論文“Malthus's Political Views in 1798: A ‘Foxite’ Whig?”(History of Economics Review, No. 56, Summer 2012, pp.14-28)を外国人の研究者に参照してもらえた時は本当に嬉しかった。日本語でしか表現できなさそうな内容の場合は、現実問題として日本語で書くしかないので、無理はしない。

改訂に時間を要しているが、このケインズ&マルサス論は最近の自分の論文の中でいちばんの自信作である。今は海外ジャーナルに掲載されることが目的だが、ここで話は終わらない。掲載後の反響も楽しみなのである。

今日はものすごく暑かった。いよいよ春が訪れたのか? それとももう一度寒さがぶり返すのか? 昼食はThe House of Thaiにてred curryを選択する。

夜はこのDVDを観てくつろぐ。

LIVE HISTORY PartI [DVD]

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