Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

おいしいコーヒーはどこに?(ブリズベン8日目)

ウルワース


完全休養日。昼過ぎまで爆睡する。

真冬という言葉が意味をなさないほど、ブリズベンの真冬は暖かくて過ごしやすい。朝晩は多少冷え込むが、日中は汗ばむほどの陽気が続く。オープンカフェでの読書が気持ち良さそう・・・ということで、宿泊ホテル近くのカフェThe Coffee Clubに入店してみる。ラテとフレンチ・トーストを注文する。

むむむ・・・店名に比してコーヒーがさほどおいしくないのはなぜなんだろう? ブリズベンではシドニーメルボルンで飲めたような濃厚な味わいのコーヒーにまったくありつけない。シドニーではほとんど死滅していたスターバックスがブリズベンでは比較的元気に見える。州が異なるとコーヒー文化も異なるのか?

大好きなオーストラリアだが、僕はこの国の歴史・政治・経済についていまだにほとんど何も知らない。この状況がさすがにつらくなってきたので、今回の渡豪にあわせて少し勉強してみることにした。今日はこの本を読む。

オーストラリア入門

オーストラリア入門

「入門」とあるが、レベルは高い。特に経済分野が充実。2007年に出た本なので、データは少し古くなっているが、内容は古びていないように感じられた。自分が知らなさすぎたせいか、「目からウロコ」の連続であった。

  • ニューサウスウェールズ州初代総督アーサー・フィリップの率いる船団がシドニー(ロックス地区)に上陸したのは、フランス革命の前年である1788年。
  • 南オーストラリア州は唯一囚人を受け入れなかった州で、自律意識が高い。
  • 第2次世界大戦で日本はオーストラリア本土を攻撃していた(ダーウィンを爆撃、シドニー湾を攻撃)。そのため、冷戦初期においても、日本の軍事的脅威に対する認識がオーストラリアでは非常に強かった。
  • イギリスのEC加盟(1973年)はオーストラリアの対外政策に決定的な影響を与えた。イギリスとの特恵関税が廃止されるため、オーストラリアはアジアとの経済的な紐帯の強化へとかじを切った。1975年に白豪主義が事実上撤廃されたのも、それがアジアとの関係強化への大きな障害であると考えられたためである。
  • 成文憲法とコモンローの二本立て。憲法それ自体には人権の規定がなく(連邦政府と州政府の関係が中心)、人権はコモンローによって保障される。憲法上は内閣も首相も存在していない。
  • 1986年まで英国枢密院への上訴が可能であった。1986年にオーストラリアの連邦最高裁判所が全訴訟事件の最高裁となった。ここにいたってようやく司法制度の上でもオーストラリアはイギリスから独立したことになる。
  • 選挙は国民の権利であると同時に義務で、投票を理由なく怠れば罰金を科される。
  • 有権者は候補所に優先順位をつけて投票する。
  • 二大政党制。自由党を中心とした保守連合vs労働党
  • 私立大学は2校のみで、他は国立あるいは州立大学。
  • ウランは世界一の埋蔵量を誇るが、非核国であり、原子力発電所も所有していないため、ウランは全量輸出に回されている。
  • オーストラリアでよく見かけるハンバーガーショップ「ハングリージャック」は「バーガーキング」のオーストラリア名。
  • 食品小売業の寡占状況がきわだっており、上位3社の市場占有率は8割に達する。しかも最大のスーパーマーケット・ウルワース1社で37%を占める。
  • オーストラリアへの渡航者数に関して、日本はニュージーランド、イギリスに次いで3位。

などなど。

ホテル近くのウルワースで食材を買ってからホテルへ戻る。夕食後ものんびり読書。

Bruce Littleboyさんと24日(水)のランチを一緒にとることになった。メールの文面から察するに、かなりお忙しい様子だったので、貴重な時間を割いていただき、恐縮のいたりである。