Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

昨日の卒業論文報告会について

ご父母に配布したあいさつ文。

本日はご来場いただき、まことにありがとうございます。

卒業論文報告会(最後の授業参観)」を初めて開催したのは、2005年1月8日のことですから、早いものであれから8年の歳月が経過しました。当ゼミは1期生(1998年度入学生)を募集した時から入ゼミの条件として「卒業論文を必ず書くこと(ただしテーマは自由)」を掲げているのですが、関西大学経済学部ではゼミや卒業論文の単位がカリキュラム上必修化されていなかったこともあって(ただし2011年度入学生から必修化されました)、1期生のうち3名が卒業論文執筆に行き詰まり、結果的に退ゼミ(執筆放棄)してしまいました。この苦い経験を踏まえて、「どうすれば2期生全員が卒業論文の執筆に最後まで積極的に取り組んでくれるだろうか」と頭を悩ませ、たどりついたのがこの報告会です。私のオリジナルな発案ではなく、同僚の先生から同種のイベントの存在を教えていただき、自分のゼミでも実行してみよう、ということになった次第です。以来、毎年この時期に開催しており、今では当ゼミの恒例行事の一つとして定着しています。

どうして卒業論文を書く必要があるのでしょうか? 難しい問いです。それが4年間の学びの集大成であることは言うまでもありませんが、卒業論文の執筆には相当な時間と精神力が必要ですから、「こんなにしんどいのなら、集大成なんて要らない」という気持ちにふと陥ってしまっても不思議ではありません。しかし、報告会を開催するようになって、卒業論文を書くことの意味が新たに一つ付け加わりました。それは、「高額な授業料が無駄に使われていないことをスポンサーであるご両親に証明するために書く」というものです。ご両親への感謝の気持ちが卒業論文執筆を精神的に後押ししてくれるようになりました。ところが、よく考えてみると、それは報告会が「関西大学がご子女をしっかり教育しているか否か」を厳しく審判される場であることも同時に意味します。この意味で、毎年の報告会でいちばん緊張しているのは、実は私自身なのかもしれません。

10期生は、2010年9月から約2年半にわたり、「脱常識の社会経済学 〜「あたりまえ」を問いなおす〜」を統一テーマとして、ゼミナール活動に専心してきました。「失敗」「嘘」「仮説力」「水ビジネス」「プレミアム感」などの多彩なトピックの多面的な考察を通じて、現代経済社会の本質に迫ろうと努力してきました。どの論文も、荒削りではありますが、ご子女が今の持てる力をふりしぼって考え抜いた成果です。「うちの子は意外に勉強しているじゃないか」とご両親に胸をなでおろしていただけたなら、これに勝る喜びはございません。

10期生の報告テーマ一覧。

  • 世界一わかりやすい身近な経済学
  • 頻出する言葉「かわいい」を探る
  • 私探しの旅 〜愛と勇気のヒーローに学ぶ〜
  • 言葉と嘘 〜嘘は悪か?〜
  • 豊かさを問い直す 〜高齢化社会から幸齢化社会へ〜
  • 大型スーパーの成功と失敗からみる消費者心理の変化
  • もう「めんどくさい」とは言わせない教育改革
  • 0円の価値 〜ソーシャルビジネスへの可能性〜
  • 本当の自由の怖さ 〜変化に敏感になれ〜
  • 人間的成長のすすめ
  • 利他性の経済学 〜誰かのための綺麗事〜

昨日の報告会についてではないが、同僚(商学部)のH先生がご紹介くださった記事。光栄なことである。

http://www.kansai-u.ac.jp/Fc_com/outline/essay/28_hasegawa.html

同業の友人Uさん(大阪経済大学)は、ゼミ1期生の卒業を目前に控えて、本日、最初の卒業論文報告会を開催されていると聞いている。